42 作歌法
 
                       参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
 
                    本稿は、いわゆる「和歌作りのための座右
                   の銘」として、往古の先達、賢人、著名人た
                   ちの、歌作りの心得として、その「教え、考
                   え方、和歌に対する想い」などを収録してみ
                   ました。             SYSOP
 
〈[作歌法について〉
[二条太皇太后宮大貳集]人の歌よみてと申しに
歌めせど心たくみのはかなさは をのゝ音してえこそつくらね
 
[松の落葉 四]歌をつくるといふ事
宇津保物語(空穂物語)の吹上の巻に、「歌つくりなどしつゝ、よみあげてきんにあは
せて、もろごえにずんじたまふ」といへるは、いとたゞしきいひざまなりとぞおもふ。
そのゆゑは、よむといふは「はまのまさごはよみつくすとも」と、古歌にいへるごとく、
つくりたる歌の「みそひともじ」を、ひともじづゝよみあぐるよしにて、よむとはいふ
ことなれば、歌はつくるといふぞ正しき。
 
日本書紀顕宗天皇の巻にも、詞人の「もじを、うたつくるひと」とむかし人のくにつけ
たるは、げにさることぞかし。しかにはあれども、つくりてはよみあぐるものゆゑに、
中ごろよりは歌をばつくるこゝろをよむ」といひて、詩又は文をつくるといひわくなる
もわろからねば、さてありぬべきことなれど、ことわりはつくるといふかた正しければ、
人のさかきたらんを、あしととがむべきことにはさらにあらずなん、こゝろしておくべ
し。
 
[石上私淑言 上]
歌を始て製作するを余牟ヨムといふに、二の義有べし。
一つには、まづ余牟といふは、もと右にいへる如く、定りてある詞をたゞことばにつぶ
つぶとまねびいふ事也。
されば古き歌をも、後にうたはずして、たゞよみにつぶつぶとまねびいふをば、余牟と
いへるなるべし。
古事記に、「此二歌者読歌也」といへる事有、これはすべて歌を載て次に、あるひは夷
振也、宮人振也、宇岐歌也などゝあるは、みな後世に遺りて奏ウタフにつきて、なづけたる
目ナ也。
 
「読歌也」とあるは、此歌は他の歌のやうにうたはずして、後世迄たゞよみによむ歌な
る故に、かく称せしなるべし。されば始てあらたに製作したる歌をも、うたはずして、
たゞよみによみ聞せたる事もおほくありけらし。それがならひになりて、おのづから製
作することをも、余牟といふやうになりけるなるべし。
于多布ウタフといひては、古歌を吟詠にまがふ事もあり、またかならずしもうたはぬ事も多
かれば、すべて歌にもたゞよみによむにも、みな製作するをば余牟といふ事にはなれる
なるべし。
 
今一つの義は、歌は心にあはれと思ふ事共をいひつらぬること、物をかぞふると同じ意
にて、余牟とはいふや也。(中略)
 
古事記に「作御歌」といひ、日本紀にも「作歌」などかき、また三代実録などにも「作
」とかき、万葉にもみな「作」とかけり。これらはみなもろこしに「作詩」といふにな
らひいてかける也。
大方漢文にかける物には、みな「作」とある也。万葉も、詞書はみな漢文なれば、しか
書る也。
古言に歌を都久留ツクルといふ事は聞つかねば、右の作字もみな余牟と訓ずべき事也。神代
紀に「為歌之」、神武天皇紀に「為御謡之」など、「為」をかけるをも、みな美宇多余
美ミウタヨミと訓じたるになぞらへて、作字も余牟といふべし。都久留といふ事は、やゝ後の
言也。
顕宗天皇紀に、詞人に于多都久留比登ウタツクルヒトと訓じたるは、「作歌」といふ字をみて、
それによりて後の人のしたる訓なるべし、古言にあらじ、是は于多毘登ウタビトとか于多余
美毘登ウタヨミビトとか訓ずべし。(中略)
 
「詠」字は、声を永くしてうたふ事也。まへにひける尚書の舜典に、「歌永言」とある
「永」字、則「咏詠」に通じて、「歌」字と同じ意也。この故に説文に「詠歌」也、ま
た「歌詠」也と、たがひに註せり。されば此字を菜我牟流ナガムルとも于多布ウタフともよま
せて、古歌にても新歌にても、声長くうたふ事也。
然るに後世にいたりて、余牟といふに此字を用ひて、歌を製作する事とするは、字義か
なはず。たゞし歌は于多布といふが根本の称呼なれば、「詠」字かきて于多布と訓ぜば、
あらたに製作するにも用ふべし。余牟といふに此字はあたらず、されど中古以来おしな
べて此字を余牟といふに用る事になれり。
 
いにしへはたゞ声を長くしてうたふ事にのみもちひたり。古事記に云「此歌者国主等献
大贄之時、恒至于今詠之歌者也」。日本紀崇神天皇紀に「乃重詠先歌」などゝ有。万葉
第十六に、あさか山の歌を載たる所に「詠此歌」とあるは、あらたによめる歌なれども、
それを則うたひたるといふ事を、「詠」とかける也。
歌はもとうたふ物なれば、新に製作するをも「詠」とかくは、うたふ義にてかく也。そ
れを余牟と訓ずる事は、ふるくはみえず。
また万葉第七第十に「詠天詠月詠鳥詠霞」などいふ事おほし。是はうたひたるといふに
はあらず、詩に「詠物」とて、草木禽獣其の外何にても、「詠某」といふ事あるになら
ひてかける物也。
 
[兼載雑談]
一作より稽古すべし。才覚より稽古すべからず。作にいたりぬれば、何事の才かくをも
よくするなり。才覚よりいたりぬれば、めづらしき事出来がたし。
定家、家隆、俊成、慈鎮などはうたよみなり。
其の余は歌作りなり、古詞をつらねて、三十一字にしたる計にて、作も余情もなければ、
うたも作りたる迄にて我力なし。
 
[耳底記 二]同月(慶長四年二月)十五日、於伏見
一定家云、家隆は歌よみ、我は歌つくりと云々。
 
[悦目抄]
一安倍清行が式曰「凡和歌者、先花後実、不詠古語并卑陋之所名奇物異名、但花之中求
花、珠之中採珠」云々、不誉名所などよむ事は、よくよくこれを「可思惟」也。
 
[悦目抄]
一歌は人によりて読かゆべし。児と女との歌は、あまりにつよくこはきははしたなし。
さればとてとらへたる所もなきには正体なし。おもてなだらかに読なして、下におかし
きふし有べし。
僧俗の歌は、むねこしすそを読、えんの字えんの詞をすへ、かなをいたはり、かなをえ
り、異名を心得、助字を存し、やすめ字を心得、仮名をあまさず、心をあまさず、詞の
上下をせず、えんの字をとをのけて、上下を心得て、一としてかけぬを秀歌とし、かけ
ぬるをわろしとす。(中略)
たとへば縁の字えんの詞といふは、
 
惜ともかなふましらの鷹なれば そるをえこそは留めざりけれ
 
これ縁の字を、むねこしすそにすゑたるをよき歌とす、これらぞたくみの歌の本なる。
 
一また縁の字をこしにすゑずして、かたがたにすゑたるをば、すそよわき歌とす。また
腰ばかりにすゑて、むねすそにすゑざるをば、一ふし歌とてこのみ読人も有也。また発
句後句にめいくたいくをすべし、こしにつのる歌もあり、これらはおのづから浅き深き
ことばあれども、皆歌の体也。えんの詞も如此しつらひつれば、たゞごと歌と名こそか
はれども、さきのたくみの歌に、おとりまさりあるべからず。此外はこしをれとて、歌
には似たる物ながら、歌をやつすすて物也。
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