14 和歌のいろいろ
参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
△歌とは
歌は心に感ずることありて、言に発して咏嘆するを云ふ。即ち支那に所謂詩なり。之
を和歌と云ひ、或は和詩と云ふは、特に支那の詩に対する称なり。歌に長歌あり、短歌
あり、短歌は五言七言の句を相錯へ、五句三十一字を以て一篇を成すものなり云々。
抑も歌は、素戔嗚尊の八雲の詠に起り、後世に至りて益々盛なり。然れども其間自ら
変遷興廃なきこと能はず。故に我国開闢以後の歌の変遷を論じて、六運の弁を作れるも
のあり。蓋し神代に在りては、文字の数も一定せずして、種々の体ありしが、奈良の朝
の頃に至りては、長歌短歌の二種となれり云々。
△名称
夜をつがむことはさらなりしきしまの 道をさへ社コソ君は知りけれ (伊勢大輔集)
敷島の道に我名はたつの市や いさまだしらぬやまとことのは(風雅和歌集 十七雑)
みな人にひとつのくせは有ぞとよ これをばゆるせ敷島の道
(徹書記物語 下 慈鎮和尚)
△起原
あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまるの あなたまはや みたに
ふたわたらす あぢすきたかひこね
あまさかる ひなつめの いわたらすせといしかはかたふち かたふちに あみはりわ
たし めろよしに よしよりこね いしかはかたふち(日本書紀 二神代)
夜久毛多都ヤクモタツ伊豆毛夜幣賀岐イヅモヤヘガキ都麻碁微爾ツマゴミニ 夜幣賀岐都久流ヤヘガキツクル
曽能夜幣賀岐袁ソノヤヘガキヲ (古事記 上)
なにはづにさくやこのはなふゆごもり いまは春べとさくやこの花(古今集序注 上)
安積香山アサカヤマ影副所見カゲサヘミユル山井之ヤマノイノ 浅心乎アサキココロヲ吾念莫国ワガオモハナクニ
(萬葉集 十六有由縁雑歌)
あたらしきゐなべのたくみかけしすみなは しがなけばたれかかけむよあたらすみなは
(石上私淑言 上 雄略天皇)
めどりのわがおほきみのおろすはたたがかねろかも (同 仁徳天皇)
△沿革
飛鳥のつばさしをれてかへらずば くるゝもしらじ春雨のそら
ふるまゝにいろそめまさるふかみどり 松のしぐれや春雨の空
(三のしるべ 中 逍遥院実隆公)
△歌体
身に寒く秋のさ夜風吹なべに ふりにし人の夢にみえつゝ (愚見抄)
風ふけば興津白浪たつたやま 夜半にや君がひとり越らん (悦目抄)
日くるればあふ人もなしまさ木ちる 峯の嵐の音ばかりして (愚秘抄)
沖津風いさごをあぐる浜の名に そなれてふるき松の声哉
浜松の梢の風に年ふりて 月にさびたる鶴のひとこゑ (徹書記物語 下)
葛城やたかまの桜さきにけり 立田のおくにかゝるしら雲 (耳底記 一)
わたりかね雲ぞ夕を猶たどる あとなき雪の峯のかけはし (徹書記物語 上)
さけばちる夜の間の花の夢の中に やがてまぎれぬ峯の白雲 (徹書記物語 下)
△長歌
かけまくも かしこけれども いはまくも ゆゝしけれども(中略) (奥義抄 上)
はじめあれば さだめてをはり あることは うつせみの よのことはりと おもへど
も あまそきの そのきしかけと たのめれば(中略)(同)
うぐひすの かひこのなかの ほとゝぎす ひとりむまれて しやがちゝににて なか
ずしやが はゝににてなかず うのはなの さけるのべより とびかへり きなきとよ
まし たちばなの はなをいちらし ひねもすに なけばきゝよし まひはせむ とほ
くなゆきそ わがやどの はなたちばなに すみわたれとり(同)
鴬の 生卵カヒコの中に 霍公ホトトギス 独り生ムマして 己父シャガチチに 似て鳴かず 己母
シャガハハに 似て鳴かず うの花の さける野辺より 飛び翻へり 来鳴きとよまし 橘
の 花をや散らし 終日ヒネモスに なけど聞きよし よひはせむ とほりなゆきそ 吾が
屋戸ヤドの 花橘に 住みわたる鳥(袋草紙 三 家持)
親のおやぞいまはゆかしき郭公はや 鴬のこは子也けり (続世継 十敷島の打聞)
鴬のこになりにける時鳥 いづれのねにかなかんとすらん (同)
やちほこの かみのみことは やしまくに つままぎかねて とほとほし こしのくに
ゝ さかしめを ありときかして くはしめを ありときこして さよばひに ありた
ゝし よばひに ありかよはせ たちがをも いまだとかずて おすひをも いまだと
かねば をとめの なすやいたどを おそぶらひ わがたゝせれば ひこづらひ わが
たゝせれば あをやまに ぬえはなき さぬつとり きぎしはとよむ にはつとり か
けはなく うれたくも なくなるとりか このとりも うちやめこせね いしたふや
あまはせづかひ ことのかたりごとも こをば(古事記 上)
やすみしゝ 吾が大王 高ひかる 日の皇子ミコ 荒妙の 藤原がうへに 食国ヲスクニを
めし賜はんと 都宮ミアラカは 高知らむと 神カンながら 念ほすなべに 天地も よりて
あれこそ いはばしの 淡海アフミの国の 衣手の 田上山タナガミヤマの 真木マキさく 桧ヒの
つまでを もののふの 八十ヤソうぢがはに 玉藻なす 浮かべ流せれ そをとると さ
わぐ御民ミタミも 家忘れみも たな知らず かもじもの 水に浮きゐて 吾が作る 日の
御門ミカドに 知らぬ国より 巨勢道コセヂより 我国は 常世トコヨに成らむ ふみおへる
あやしきかも 新た代と 泉の河に 持ち越せる 真木のつまでを 百モモ足らず いか
だに作り のぼすらむ いそはく見れば 神随カムナガラならし(萬葉集 一雑歌)
ちはやぶる 神無月とや 今朝よりは 曇りもあへず はつしぐれ 紅葉とともに ふ
るさとの 吉野の山の(中略)(八雲御抄 一正義)
△反歌
やすみしゝ 我が大王オホキミの 朝アシタには とりなで賜ひ 夕ユフベには いより立てゝし
御執ミトラシの 梓弓アヅサノユミの なかはづの 音すなり 朝猟アサガリに 今立たすらし 暮
猟ユフガリに 今たゝすらし 御執の 梓弓の なかはづの 音すなり
反歌
玉きはる内ウチの大野オホヌに馬なめて 朝ふますらむその草ふけぬ
(萬葉集 一雑歌 舒明天皇)
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