13  手本歌/現代
 
            手本歌/現代  ※短歌講座手本歌 06.05.03
 
石川啄木
 砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日
 
 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
 
 石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆることなし
 
 ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
 
 函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌コヒウタ 矢ぐるまの花
 
 はたらけど はたらけど猶わが生活クラシ楽にならざり ぢっと手を見る
 
 こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂シトげて死なむと思ふ
 
 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
 
 頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
 
 たはむれに母を背負ひて そのあまり軽カルきに泣きて 三歩あゆまず
 
 こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後ノチのこの疲れ
 
 病ヤマヒのごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも
 
 不来方コズカタのお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
 
 やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
 
伊藤左千夫
 おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く
 
 今朝の庭露ひやびやと秋草やすべて幽カソけき寂滅ホロビの光
 
 牛飼が歌よむ時に世の中の新アタラしき歌大いに起オコる
 
 暫くを三間うち抜きて夜ごと夜ごと児等が遊ぶ家湧きかへる
 
 よきも着ツけずうまきも食はず然シカれども児等と楽しみ心足らへり
 
 よき日には庭にゆさぶり雨の日は家とよもして児等が遊ぶも
 
 七人の児等が幸くば父母はうもれ果つとも悔なくおもほゆ
 
 わくらばに寂しき心湧くといへども児等がさやけき声に消ケにつつ
 
 天地アマツチの四方ヨモに寄合ヨリアヒを垣にせる九十九里の浜に玉拾ひ居り
 
 鶏頭のやや立ち乱れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり
 
 秋草のしどろが端ハシにものものしく生を栄サカゆるつはぶきの花
 
 鶏頭の紅ベニふりて来コし秋の末やわれ四十九の年行かむとす
 
 今朝の朝アサの露ひやびやと秋草やすべて幽カソけき寂滅の光
 
太田水穂
 野分ノワキだつ昼の河原カハラの石にゐてあわただしくも鳴く鴉カラスあり
 
 豆の葉の露に月あり野は昼の明るさにして盆唄のこゑ
 
岡本かの子
 ともすればかろきねたみのきざしくる日かなかなしくものなど縫はむ
 
 年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり
 
 見廻せばわが身のあたり草莽サウマウの冥クラきが中にもの書き沈む
 
 桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命イノチをかけてわが眺めたり
 
 しんしんと桜花サクラかこめる夜の家突としてぴあの鳴りいでにけり
 
 けふ咲ける桜はわれに要あらじひとの嘘をばひたに数ふる
 
落合直文
 をとめらが泳ぎしあとの遠浅に浮環のごとく月浮び出でぬ
 
 父君チチギキよ今朝はいかにと手をつきて問ふ子を見れば死なれざりけり
 
 春のものとはおもはれぬまであまりにもさびししづけし白藤シラフヂの花
 
 霜やけの小さき手して蜜柑ミカンむくわが子しのばゆ風の寒きに
 
尾上柴舟
 つけすてし野火の烟ケムリのあかあかと見えゆく頃ぞ山はかなしき
 
 夕鶴は青く木立をつつみたり思へば今日は安かりしかな
 
 遠き樹のうへなる雲とわが胸とたまたまあひぬ静かなる日や
 
 哀れにも晴れたるかなや飛ぶものは飛びつくしたる夕暮の空
 
 つけ捨てし野火のけむりのあかあかと見えゆくころぞ山はかなしき
 
岡本かの子
 桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命イノチをかけてわが眺めたり
 
金子薫園
 夕ぐれのがらんとしたる一室に紅き林檎が投げられてあり
 
 藤の花ひたぬれたれど雫せず昼かけて細き雨ふりけり
 
 沈丁花春のゆふべに庭の面に冷たくにほひひろごりにけり
 
 書のものはみな書きをへて冬の日の暮るるに間あり雪の降りくる
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