04a 昭和天皇御製1
 
 昭和十一年
 
 「海上雲遠カイジャウクモトホシ」
*紀伊の国の潮のみさきにたちよりて 沖にたなびく雲をみるかな
 
 昭和十二年
 
 「田家雪デンカノユキ」
*みゆきふる畑の麦生ムギフにおりたちて いそしむ民をおもひこそやれ
 
  昭和十三年
 
 「神苑朝シンエンノアシタ」
*静かなる神のみそのの朝ぼらけ 世のありさまもかかれとぞ思ふ
 
 昭和十四年
 
 「朝陽映島テフヤウシマニエイズ」
*高殿のうへよりみればうつくしく 朝日にはゆる沖のはつしま
 
 昭和十五年
 
 「迎年祈世トシヲムカヘテヨヲイノル」
*西ひがしむつみかはして栄ゆかむ 世をこそ祈れとしのはじめに
 
 昭和十六年
 
 「漁村曙ギョソンノアケボノ」
*あけがたの寒きはまべに年おいし あまも運べり網のえものを
 
 昭和十七年
 
 「連峰雲レンポウノクモ」
*峰つづきおほふむら雲ふく風の はやくはらへとただいのるなり
 
 昭和十八年
 
 「農村青年」
*ゆたかなるみのりつづけと田人らも 神にいのらむ年をむかへて
 
 昭和十九年
 
 「海上日出カイジャウヒイヅ」
*つはものは舟にとりでにをろがまむ 大海の原に日はのぼるなり
 
 昭和二十年
 
 「社頭寒梅シャトウノカンバイ」
*風さむき霜夜の月に世をいのる ひろまへきよく梅かをるなり
 
 「戦災地を視察したる折に 三月」
 戦のわざはひうけし国民クニタミを おもふこころにいでたちてきぬ
 
 「前同」
 わざはひをわすれてわれを出むかふる 民の心をうれしとぞ思ふ
 
 「終戦時の感想」
 海の外トの陸クガに小島にのこる民の うへ安かれとただいのるなり
 (外国と離れ小島にのこる民の うへやすかれとただいのるなり)
 
 「前同」
 爆撃に倒れゆく民の上をおもひ いくさとめけり身はいかならむとも
 
 身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて
 
 国がらをただまもらんといばら道 すすみゆくともいくさとめけり
 
 「皇居内の勤労奉仕 二首」
 戦タタカヒにやぶれしあとのいまもなほ 民のよりきてここに草とる
 
 「前同」
 をちこちの民のまゐきてうれしくぞ 宮居のうちにけふもまたあふ
 
 「母宮より信濃路の野なる草をたまはりければ 二首」
 わが庭に草木をうゑてはるかなる 信濃路にすむ母をしのばむ
 
 「前同」
 夕ぐれのさびしき庭に草をうゑて うれしとぞおもふ母のめぐみを
 
 昭和二十一年
 
 「松上雪ショウジャウノユキ」
*ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ
 
 「戦災地視察」
 国をおこすもとゐとみえてなりはひに いそしむ民の姿たのもし
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