「或る人問う」 それな何か…… 「我は想う」 神の概念は通常、人間をしてその生存を助長し幸福を招来することにある。 仏の教えもまた、これと同じことを志向している。しかし、仏には、一個人の生存 に絶対的に必要な「自給自足の教え」が欠けているように想えてしかたがない。 「或る人問う」 それで…… 「我は想う」 生き物たる人間は、 @まず、自ら生きなければならない。そのための必須なものは「自給自足」であろう。 A次には、人間たる種の繁栄のための、いわゆる二大本能である「食欲と性欲」であ ろう。 Bそれに加えるところの、人間特有の「考えること ― 思考力」であろう。 「或る人問う」 して神の条件とは…… 「我は想う」 この三条件を保証するものが神であり、神は人間の生存 ― 生死を掌握しているので ある。 しかし、釈尊にあっては、宿命的に「自給自足」の上に考え出された「教え」では ないと、自分なりに想っているからである。 即ち釈尊は、自らが自給自足を必要としない身分を保有していたのである。釈尊は、 @とAに関して、自ら(他の弟子達をも含めて)が行動する必要がないことによって、 その教えが成就したからである。 |
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