宗教に想う

わが国の仏教について H17.02.03

「或る人問う」
  それな何か……
 
「我は想う」
 神の概念は通常、人間をしてその生存を助長し幸福を招来することにある。
 仏の教えもまた、これと同じことを志向している。しかし、仏には、一個人の生存 に絶対的に必要な「自給自足の教え」が欠けているように想えてしかたがない。
 
「或る人問う」
 それで……
 
「我は想う」
 生き物たる人間は、
@まず、自ら生きなければならない。そのための必須なものは「自給自足」であろう。
A次には、人間たる種の繁栄のための、いわゆる二大本能である「食欲と性欲」であ ろう。
Bそれに加えるところの、人間特有の「考えること ― 思考力」であろう。
 
「或る人問う」
 して神の条件とは……
 
「我は想う」
 この三条件を保証するものが神であり、神は人間の生存 ― 生死を掌握しているので ある。
 しかし、釈尊にあっては、宿命的に「自給自足」の上に考え出された「教え」では ないと、自分なりに想っているからである。
 即ち釈尊は、自らが自給自足を必要としない身分を保有していたのである。釈尊は、 @とAに関して、自ら(他の弟子達をも含めて)が行動する必要がないことによって、 その教えが成就したからである。

[次へ進む] [バック]   前画面へ戻る