宗教に想う

わが国の仏教について H17.02.03

「或る人問う」
 明治初期の神仏分離令が出されるまでは、わが国の宗教は神仏習合を旨として、人々 の人生観なり世界観を形成していた。
 明治維新に至って神仏分離令が普く行われても、また第二次世界大戦後の新憲法下におい ても、神と仏とは共存共栄の様を呈している。
 また、わが日本の人々の大部分は、仏教(いわゆる「日本仏教」)を信仰している。
 そして、現に数え切れない宗派が存在している。
 そのため、お互いの宗派の維持共存を期するために、「宗派の争い釈迦の恥」として、 他派をまともに攻撃しない風土を醸成している。
 「お経」の趣旨はそれぞれ異なっていても、それは、いわゆる「方便」とし、総て の「お経」は釈尊に帰する ― 収斂していくのである。
 従って、わが国においては、「釈尊」とか「釈尊の教え」とかは絶対の真理として認 識されている。
 即ち、どのような詭弁を吐露しても、それは釈尊へ至る過程での方便として世の中 に受け入れられるのである。
  
 さて、このようにわが国の人々に崇拝されている釈尊(他の仏陀達も)は、いわゆ る「仏=仏様」として、神と同一視されている。
 しからば、仏とは「神そのものである」と考えられるが……
 
「我は想う」
 一般的には仏教徒は、「仏は仏であり、仏は神ではない」とかたくなに主張している ので、「仏は神では有り得ない」と想う。

「或る人問う」
 それでもなお、神も人々を守護するし、仏も人々を救済するので、神も仏も同じで あると考えられるが……
 
「我は想う」
 そのとおりである。
 「仏は仏であり、仏は神ではないと信じている」仏教徒もおられると考えられるが、 自分も含めて、それ以外の人々はおしなべて、「仏は、実は神ではないだろうか、と思 っている」と想う。
 
「或る人問う」
 その答えは、曖昧では……
 
「我は想う」
 そのとおり曖昧である。
 
「或る人問う」
 それでは答えになっていない……
 
「我は想う」
 自分は想うに、わが国の人々の大方は、「神も仏も同じものであると信じている」と 言い云い得る。そして「しかし必ずしも、神と仏とは同一ではない」と云うことも。
 
「或る人問う」
 神と仏とは、文字も異なるし、意味も異なるからであろうか……
 
「我は想う」
 そのとおりであるが、仏には、神に成り得ない、何かがあると想う。

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