GLN町井正路訳「ファウスト」

「ファウスト」後編梗概

 第三場 クラシカル、ワルプルギスの夜
 此の場は「パルサリアの平原」(シーザーがポンペイに打勝ちて凱歌を奏した処) 「河神ペニウス」「ペニウス河の上流」「エイジャ河辺の洞窟」「ロドスのテルチネス」 の五章を含有して居るので、千四百八十七行に渉る長詩である、それで全編中の最も 難解な一場で、其の内容の梗概を説明するのは、甚だ困難であるが、併し前編に於ける 「ワルプルギスの夜」の場を熟読した読者は、略々此の場の大意をも窺知することが 出来よう、それで前者は中世紀の風俗習慣に基き、裨史的の荒誕怪話に富んで居るが、 後者は著しく太古風である。
 
 開場と共に、ホーマンキュラスの案内に依てメフィスト等入場する、次でアッシリア の怪獣グリッフィン(体躯は獅子で羽翼と口嘴とは鷺に似て居る怪物)、埃及の スフィンクス(獅子女面有翼の怪物)出現する、そこでメフィストは自ら老不正公と 称して彼等の前に立った、がスフィンクスは直ちに其の言を信じないで、メフィストを 以て一個の難解なる謎なりとなした。ファウストは又スフィンクスにヘレナの住所に 行く可き途を尋ねると、スフィンクスは先ずチロンとセンタウルトとに紹介し、次で 此の両人が又女予言者マントに紹介した、マンはファウストに同情し − ファウスト の霊界に対する努力に同情を寄せて、而してアポロの宮殿からオリンパスの深底まで 降ることに就て、ファウストを助けて自ら案内することを約し、一同此の神巫に従って 退場する。
 
 斯くしてファウストは中古及太古の修養をなし、来るべき新時代に処す可き準備を なしつゝあるのである。
 
 場処は変って、サイレンは河の辺りで水を称讃する歌を謡って居る − サイレン というのは伊太利海岸の島に住んだという三海女神の一で、美音を発して歌を謡い、 其の近傍を過ぐる船員を誘惑したと言い伝えられて居るので − 此のサイレンが 特有の美声を発して謡って居ると、突然地震が起こり、其の震動と共に地面が膨 (ふく)れ上って来た、でこれは巨神サイモスの所業であった、自然に於ても亦歴史 に於ても、事実事例が示す如く、低い状態から向上する際には必ず革命を伴うもので ある、地震を司る巨神サイモス、続いて現われ出ずる一寸法師、ヘロンの殺戮者 ダクタイル及び復讐鶴などは即ち此の革命を意味して居る。
 
 次で月光さやかな静かな海の辺りにはネレイッド(希臘神話中の海神)が祭礼の 準備をして居る、これは無政府の乱雑時代を脱し、規律ある社会に移り得た喜悦の 情を表示したもので、此の祭礼はカビリー諸神を祭るのであった、カビリー神という のは世界宗教の根源として記されたのである、それでネレイッドとトリトンとが、 象形文字を刻み付けた”うみがめ”の甲殻(こうら)で造った楯の上に載せて担ぎ 出したのは、カビリー八神中の三神であった、第一が古代印度の神、第二が古代埃及 の神、第三が古代希臘の神であった − 第四番目はモーゼ一神教の神であるが、 祭礼に出るのが厭(いや)でと云って出席を拒んだとしてある、又残りの四神は オリムパス神殿の奥深く匿れて出ない、其の内の三神は仏教、マホメット教及び基督教 を意味するのであるが、今此の祭礼の当時はまだ之れ等の宗教が世に現われない頃 なので、それで神殿深く匿れて居るとしてあるのだ、そこで残りの一神、即ち第八番目 の神は、何を意味して居るのであるか、それは不明としてあるが、恐らくは世界の宗教 を統一する最後の宗教を意味するものであろう。
 
 斯くしてエージャの海の辺りに開催されたカビリー諸神を祭る可き神々の祭礼が、 正に酣なるの時、ネプチュン大神の三叉戟を鍛冶造したロドスのテルチネスが加わって 益々盛況を呈する。
 
 海豚に仮装したるプロテウスは例のホーマンキュラスを載せて海を渡った、そこに 見て居たのは、万物の始源は水であるという説を唱えた哲学者ターレスで、彼は物質論者 であるから、ホーマンキュラスを一有機体と見做し、時の進むに連れ、永遠無窮に発達 進化して、遂に人間の形態を具備するに至るは勿論、尚お進んで人間以上の物となる べきことを述べた、之れを聞いたプロテヤスは、若しホーマンキュラスにして人間となる の時期ありとすれば、それは正に其の最期なるべしと批評した。
 
 斯かる処へガラチャ女神の率いたる平和の一隊が加わって来たが、蛇殺しの称号を 得たプセリとマルセとは其の先駆となって女神の進む道を清めつゝ進行した、それで 女神は大団内に、手と手を継(つな)ぎ合った多数の従者に囲繞せられて居り、女神 の翼輦を荷うという彼のパホスの鳩は群がり飛んで居る。
 
 此の時ホーマンキュラスを容れた玻璃器は美音を発して鳴り響き、妙光を発して 輝いた、同時に彼はエロス(万物の源)の存在を感取し、無限なる勢力に浴し、終に 無我の境に達せんとした時、玻璃器は破砕して女神の前に落ち、ホーマンキュラスの 脳裡に熟し来りつゝあった思想は雲散霧消し去った。

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