第二段 第一場 ファウストの書斎 円頂格になって居る狭いゴシック風の室、ファウストの旧日の書斎、室内のもの何 一品も欠けたものは無く、すべて旧(もと)のまゝになって居る、ファウストはやはり 旧日の寝台の上にすやすやと眠って居る、こゝへカーテンの後方から現われて、 前後左右を見廻わしながら入り来ったのは、例のメフィストである、ファウストの寝顔 を眺めたメフィストは「止(よ)せばいゝのに、ヘレナなどを呪い出すのは、彼の女の 魔力に麻痺せしめられては容易に恢復はむずかしいわい」と呟く。 こゝでメフィストと助手(ワグネルの助手)との対話に依て察するに、博士ファウスト が家出して行方知れずになった後、例の高弟ワグネルは彼の家に住居して、そうして 今では大学者となって、恩師ファウスト以上の名声を得て居る、でワグネルは久しい 以前から実験室に入ったまゝで、非常に多忙であると見えて、影も形も見せぬ位である、 彼は同時代の他の哲学者と同様に、生命の根源に就て研究を継続しつゝあるのである。 助手とメフィストとの対話は哲学の問題に渉り、ヒフテ派の理論を嘲弄する、 − ゲーテ自身はヒフテの説に賛成し無かったという − この助手と云うのは パッカローレスと云い、前編書斎の場でメフィストに処世術を教えられた者である、 彼はメフィストの注意に就て大に感心して居るので、又彼は純正哲学を研究することに 決し、バッチェラーの学位を得て目下ワグネル先生の助手となって居るのである。 第二場 実験室 中世紀の慣習(ならわし)で、大形の重そうな、実験用の諸器具は室中に散乱して 居る、ワグネルは今炉の前に立って何かの仕事に従事して居るが、彼の顔は今喜悦の 情に満たされてある、それは彼がメフィストの助力に依て今ホーマンキュラスと称する ものを創造するに成功し得たからである、ホーマンキュラスと云うは怜悧なる小鬼で、 二本の角を持て居り、且つ其の容貌が悪魔に酷似して居る。今ワグネルに依て造られた 此の小鬼は、一つの壜の内に監禁されて居るが、当時の学者は液体から結晶体が生成 される様に、無機物を集めて有機体を造り出し、且つ之れに生命を与え得ると信じて 居た、で、ホーマンキュラスという文字は、古い言葉で、其の後手品使いや魔術師の 用語となった。但しこのファウスト劇に於けるホーマンキュラスに就ては、学者の説が 紛々として居る、或人は熟慮、熱誠の産物を意味すると云い、或人は忍耐(しんぼう) 強き長期研究の産物の意なりと云い、又或人は凡ての有機体は一個の源始的細胞より 発達進化したものである事は、動かす可からざる真理である、乃ち此の母細胞の意義 であると説いて居る、要するにワグネルの造り出したホーマンキュラスは完全な透視力 を持て居る、彼は隣室に眠って居るファウストに就て、明かに其の脳裡の状態を読んだ、 彼の透視に依て、ファウストは今レダという美人の夢を見て狂喜の境に入って居る ことが判った、それで、レダが霊川に浴して居ると白鳥が来て戯れて居るのである。 |
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