GLN町井正路訳「ファウスト」

「ファウスト」後編梗概

 第三場 カーニバル祭仮装会の場
 隊を為した群衆の幾群(いくむれ)は此処彼処にあって、社会各方面を模擬した仮装 はそれ等に依て巧妙に表示せられて居る、で、これ等の錯綜した行列は総括した一個の 意味を明示する、乃ち文明開発の進路及経過に伴う各種の傾向がそれで − 紙幣を通用 せしむるの止む無きに至りしことの如き其の一例で − 但し此のことは次の場の伏線 となるのである。
 
 最初の一隊は人間の社会が黄金時代に達した有様を模擬する、乃ち凡ての人間は 我慾貪婪の念を離脱して清き楽みを共にして居る、平和にして心地よく、高潔な思想と 真の愛情とは其辺中(そこらじゅう)に充ち満ちて、往昔遊牧時の、著しく宗教的に して又詩的なりし時代と同様な現象を示す、所謂天下太平に万民喜悦の情を表示す可く、 フローレンス風の少女をして、オリーブの枝、小麦の束、美しき花束、芽接したる 薔薇花などを持たしめてある。
 
 次なる一隊は母と娘との群衆で、其の服装は太古風の最も高尚優美なものである、 此の一隊に続いて混入し来った群衆は、下層社会の情態を巧に模擬して、面白き比較を 表示して居る、文明の進むに従って、山林原野の果実は人間の営養を満たすに足らず、 漁る人、鳥類を猟る人出でゝ之を補い、続いて樵夫は人生の労苦を代表して現われる、 酒に酔いたる者は千鳥足で群衆の間を縫い歩行き、各種の悪習悪弊を散布する。諸般の 状態、彼のパルシネリイが説きたる社会進化のそれに彷彿として居る。
 
 次なる一隊は希臘神話に記された神々の扮装(いでたち)で、これは人間精神の勢力 及其の性情が永久に世を支配して居ることを表示したのである、如何に社会が文明に 進んだ処で、人間は到底神霊の支配を脱することは出来無い、乃ち希臘神話の神々は それぞれ変装して吾人に附き纏って居るのだ、此の神話に於ける美と喜とを司る三女神 は、人々互に苦楽を共にするの徳を教え、以て人生の自由と人情と美とを発揮せしむ可く 努力して居る、又運命を司る女神は法律を代表して、制度の確立と秩序の整頓とを保証 して居る、次に復讐を司る三女神は、復讐を司るのでは無く、罪悪の表示として現われて 居る、悪漢、讒誣者、殺人者等の仮装を以て現われ、社会の秩序安寧を破壊し、家族の 平和を攪乱するの様を演ずるのである。
 
 如上の雑然たる群衆が、たゞ思い思いに猛り狂うのみでせは無意味に了る、従って これに一個のオーソリチーが必要である、次に現われ出ずる一隊こそ、実に此の任務 を帯びたものであって、其の隊中の巨人は「国家」を意味し、「謹慎」は之れが案内者 で幻妄的な「希望」と、悲観的な「恐怖」とは互に手を取合って之に随行し、時に触れ 折にふれて、群衆に波動を起さしめんときょろきょろして居る。引かれた山車 の頂上には「勝利」の女神鎮座ましまして活動の根源を司って居られる。
 
 次に現われた仮装者はゾイロ、テルサイテスと云うので、 − テルサイテスは ホーマーのイリヤッド中の人物で、ゾイラスは紀元前三世紀の人であるが、ゲーテは 此の両者をこきまぜた人物を政治的誹謗者の代表として現わし、凡ての善意の計画を 破毀する者としたのである。
 
 次にファウストとメフィストとは駕に乗って現われる、其の駕を引くものは竜で、 御者は小児である、でファウストは富の神に仮装し、精神的にも亦物質的にも富を 支配するものとなって居る、メフィストは又貪慾の神に仮装して居るが、此の両人の 乗った車駕が通過すると同時に、走馬燈の仕掛により竜の群をして群衆の中を走り 過ぎしめた。
 
 善意の活動を継続するを得る国家は必ず繁栄するとの暗示は、此の仮装会の教訓の一 である、小児の御者は美術の表示者で、趣味と実益とを御し、国民の富を増進するの 任務あるものとされたのである。
 
 最後の一群中に、帝王は「牧人の神」の仮面をつけて現われ給う、「牧神」の周囲に 附添うファウネン、サタィヤ、グノーメン、リーフェンなどは何れも宮中の特権ある 人々を意味して居る、やがて帝王は黄金の泉に案内されたが、此の時俄然鳴動起って 大地大に震う − これはファウストに依て計画されたメフィストの魔術で、政府の 勢力が衰退する時には、恐る可き革命が起るということを示し、無限の快楽を夢みつゝ ある帝王の肝を寒からしめんとするのである、但しこれは其の形式を「ファウスト物語」 から取ったのである。

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