「ファウスト」解題中に記述した通り、ゲーテが始めて「ファウスト」に筆を染めた
のは二十歳前後のことで、之を完成した時には既に八十歳を超えて居った、という次第
なので、「ファウスト」は何回かに別たれて漸次出版されたのである、それで後編の
一部は最初「ヘレナ」という表題で世に現われたが、其の序文にファウストが小世界を
辞して大世界に進まねばならぬこと、社会の主脳たる可き上流の間に彼の実力が発揮
されねばならなぬことが記してある、乃ち後編に於ける各章各節は此の趣旨を表示して
居る。「ファウスト物語」を読んだ人、ゲーテの「ファウスト」前編を読んだ人は、
其の主人公たるファウストの性格が如何に変化に富んで居るか、其の材料が如何に豊富
にして而かも雑駁(ざっぱく)であるかをを理解し得ると同時に、此の性格が全編を
貫通して居る一個の骨子であると思考するであろう、が併しそれは大なる誤解である。
後編を熟読するの必要は即ちそこにあるので、特にゲーテの「ファウスト」を読むの
必要も亦そこにあるのだ、語を換えて言えば、「ファウスト」後編は、単に前編の
続きとしてのみ見る可きものでは無いのである。乃ち「ファウスト」全編の各部分は、
各一個の世界を形成して独立して居る、でそれ等相互の関係を読破し得た者は全く
「ファウスト」を解し得た人と云ってよいのだ、要するに其の独立して居る各部分は
如何にも立派に、又よく頭脳にはいるが、さて全体を通読して見ると、まことに
ボンヤリして要領を捕捉しかねる憾がある、人生不可解の難問が、絶えず吾人の研究
を促すように、「ファウスト」も亦吾人の生涯を通じて吾人の生命を以て読む可きもの
であろう。
「ファウスト」の前編は、主人公ファウスト自身の悲劇では無く、全くマーガレットの
悲劇である、神前に捧げられたる犠牲は、罪を犯したる男子では無く、実に無邪気なる
少女であった、乃ちファウストは単に人生悲惨の極を味ったのみであるが、少女
マーガレットは死を以て罪を購い、神の救を得て天国の人となった、而してファウスト
は尚お悪魔の掌中にあり、今や悔悟の峠を超えつ、小世界を辞して将に大世界に入らん
として居る。
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