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第二十一場、ワルプルギスの夜(二四九頁)
四月三十日と五月一日との間の夜に、ブロッケン山の頂に催さるゝと迷信されてある、
悪魔の大祭日が斯く名けられてある、ワルプルギス − ワルプルガというのは、第八
世紀の始めに、布教の目的で英国から独乙に移住したボニフェス尊者の随行者であった
高僧ウイリバルドの妹の名である、彼の女は尼寺の長となった高徳の人で、其の死後
五月一日を命日として祭ることになった、処が此の日はドルイッド教の祭日であるので、
後耶蘇教の隆盛に赴いたにつれて、五月一日は邪教の祭日ということになって了い、
其の上如何(どん)な誤りからか異教徒では無い高徳のワルプルガの名をそれに冠する
ようになったのである。ゲーテ自身は三度もブロッケン山に上り、之に関する詩文も
沢山あるのであるが、其の中で此の「ファウスト劇」のものが最も有名で、シェレーの
如きは、之を讃美するの余り、自ら此の場丈けを英訳し、常に之を読んで作詞文の模範
としたと云うことである。 ボーボ夫人は先駆なり(二五八頁) ボーボとは希臘神話に於けるセレス神の乳母で破廉恥の記号として知られて居る。 あれがアダムの最初の妻(二七〇頁) 伝説に、女子は男子と同時に造られたと云うことがある、其れが即ちリヽスであるが、 従順でなく所謂悍婦(かんぷ)であったので、それではいかぬと云うので、更にイブが 造られたというのである、それで、アダムに棄てられたリヽスは妖女となり、男子を 誘惑し、小児を悩ますものとなったという。 譏評家(二七一頁) ゲーテと同時代に生存せる出版業者ニコライにつけた渾名である、ニコライは合理派 の勇将で、霊の存在を認めず、テゲルに於ける妖怪の出現に就て脳を痛め、水蛭を以て療 治したという話がある。 第二十二、ワルプルギス夜の夢(二七七頁) 此の一場は「ファウスト物語」には何等の関係も無く、又当初はゲーテの脚色中にも 入れて無かったが、後シルラーの忠告に依て挿入したという説がある、全体に風刺で 充たされて居るが、之を間の狂言として「夜の夢」と題したのは、沙翁の 「ミッドサンマー、ナイトドリーム」に因んだのであるということだ。 間の狂言の次に、「魔王の宮廷」と題する一場があったのであるが、何故か後に 除かれて了った。 第二十三場、陰鬱なる一日、野外(二九七頁) 妖魔の大祭を見物したのはよかったが、其の間に起ったマーガレットの運命の変化に 就て、故意に包み隠して語ら無かったということ − 要するに悪魔に弄ばれたことに 就て、ファウストがメフィストに対して怒を漏らして居るが、之は自分が快楽に耽った 自然の結果で、云わば自業自得である、自己の矛盾に向って罵るのが人間の弱点である のだ。 第二十四場、夜、広野、処刑場(ラーベンスタイン)(三〇三頁) 処刑台は一段高く土を盛り、其の上で死刑に処せられた者の屍体は、そこに晒して 鳥の餌とするのが例になって居った、それで処刑場をラーベンスタインと云ったので あろう。 第二十五場、牢獄、遊女の母さん妾を殺し(三〇五頁) 古い独乙の物語にあることで、或富豪の妻女が、杜松(ねず)樹の下に立って居た 時、雪の様に白い、血の様に赤い児を産みたいむと願った、又或時、死んだら此の樹の 下に葬られたいと願った、処が其の後望通りの児を産んで、喜びの余り自分は死し、 これ又望通り其の樹の下へ葬られた、彼の女の夫は後妻を迎えて、それがやがて娘の 子を挙げたが、其の後妻がひどく先妻の子を悪んでこれを殺し、何にも知らぬ夫に 其の肉を料理して食べさせ、骨は食卓の下に棄てた、それで其の母の仕事に手伝った 娘は勿論罪悪とは思わなかった、そして骨を集めて絹のハンケチに包んで、例の杜松 樹の下に埋めて了った、すると其の樹が急に枝を拡げ、そこから雲のような物が立ち 昇って、其の中に火が現われ、火の中から美しい小鳥が飛んで出て歌を唱った、という 伝説がある。 とうとう宣告されたな(三一七頁) 悲劇「ファウスト」の前編に対する結論しも見るべき此の句に就ては、学者の説が 区々になって居る。マーガレットは大罪を犯したが、一として故意に行(や)ったので はない、併し法律の制裁は勿論受けねばならぬ、故に彼の女は喜んで、甘んじて 受けた。だが茲に云うメフィストの「宣告」云々は、固より法律の宣告では無く、天の 大神の宣告である、乃ち彼の女は直ちに極楽浄土へ行くことが出来たのである。 声(上方)(三一七頁) とあるは神の声で、 声(下方)(三一七頁) とあるは、今や其の屍体を離れて天国に向わんとして居るマーガレットが霊の声で ある。 (註解完) |
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