GLN町井正路訳「ファウスト」

第二十一場 ワルプルギスの夜

メフィスト  彼奴(あいつ)は直ぐ汚溝(どぶ)の中へ飛込むに相違ない、彼自らを慰める手段は 其れより外には無いのだから、而して蛭に臀を吸付かれると病気は癒(なお)るだろう。
 
 此の時ファウスト舞踏を止めたのを見て。
 
 貴君の為めに美声を放って居た、あの美しい少女を何故放したのです。
 
ファウスト  あゝ、歌の最中にね、小さな赤い廿日鼠が彼の女の口から飛出したよ。
 
メフィスト  それは別段不思議と云う程の事でもありますまい、余り潔癖ではいけません、其の 鼠が灰色で無けりゃ宜いじゃありませんか、誰が惚れ合って居る時そんな事を気にする ものですか。
 
ファウスト  僕は一つ見たものがあるんだ。
 
メフィスト  何です。
 
ファウスト  メフィスト、君の目にはあれが見えないか、そら向(むこう)に離れて、青褪 (あおざめ)た美人が悄然と独り立って居るじゃないか、何だかあの女は足枷を掛けら れて居る様だぜ、どうも僕には憐れなマーガレットに似て居る様に思われるよ。
 
メフィスト  そんなものは見ても益がない、打遣(うっちゃっ)て御置きなさい、其れは目の迷 から見える幻影(まぼろし)で、呼吸(いき)をして居るものじゃあり ません、見て居ると碌な事はない。
 あの物凄い眼光は、メデュサの昔話にある様に、人間の血を凍らして化石にして 仕舞いますぜ。
 
ファウスト  ほんとに怨めしそうな目付だね、死際に介抱してくれる人が居らなかったのだろう、 胸の辺から腰のあたりまでマーガレットに宛然(そっくり)だよ。
 
メフィスト  其れは迷と云うものです、貴君はなぜそう脆いだろう、それ程思込んだらどの女も 恋人に見えますよ。
 
ファウスト  あゝ、嬉しい様で苦しい、見れば見る程見たくなる、やあ不思議だね、ナイフの背 よりも薄い血の線(すじ)が、あの可愛らしい頸を一週して居るぜ。
 
メフィスト  成程、そうですね、パーセウスが切ったのなら、一寸いと頭を取て小脇に抱込むこと が出来ますぜ、併し幻想に耽るのは止めにして、あの丘に登って見ましょう、、そこは 大遊歩道の様に賑かです、確か芝居があると思いました、何を演(やっ)て居るで しょう。
 
セルヴィリス  東西、東西、例年の通り相演じまする七劇、最後の一つは新劇に御座りまする、 作者が好事家で役者が好事家、先は口上之にて御免、幕を引くのは拙者の好事 (ものずき)で御座る。
 
メフィスト  ブロック山上に君を見たのは僕の仕合せだ、此処は君の本場処だね。

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