GLN町井正路訳「ファウスト」

第十七場 井戸端

 マーガレットとリーシヘンとは水桶を持って登場。
 
リーシヘン  あなた、バルバラさんのことを御聞きなすって。
 
マーガレット  否(いゝえ)、妾はちっとも外へ出ないんですもの。
 
リーシヘン)  妾は今日シビラさんから聞いたんですよ、彼の娘(こ)は到頭(とうとう)馬鹿者に なって了ったそうですが、矢張り貴婦人の真似をしたいのが因(もと)ですわね。
 
マーガレット  何んですって。
 
リーシヘン  まあ、厭らしいじゃありませんか、二人連で飲んだり食べたりして歩いて居りますと さ。
 
マーガレット  まあ。
 
リーシヘン  自業自得でさあね。今日此頃関係したのじゃ御座いませんよ、これ見よがしに散歩を したり、田舎の密会所や、舞踏場へ入り込んだり、それは、それは仕たい放題、それに男から 辺(あたり)切っての美人だと誉め奨(そや)され、葡萄酒や菓子で待遇されたもので すから、すっかり自惚(うぬぼ)れて美人になりすまし、男から贈物を貰うのを恥辱と も思わぬ位に堕落したのです、挙句(あげく)の果が、べたべたべたつくやら、 接吻するやら、御覧なさい、花は散って了いました。
 
マーガレット  かわゆそうに。
 
リーシヘン  もう愍然(かわゆそう)でも何でもないわ、妾たちが御母さんから、夜は外へ出るん じゃないよと、止めを刺されて余念なく糸を紡いで居る時でも、あの娘(ひと)は好きな男と一 緒になって、入口の前の椅子に腰をかけたり、暗い路を歩いたりして、夜の短いのを 嘆いて居たのですもの、併し、今頃は自ら罪人の白衣を着け、教会で苦行をして居るかも 知れません。
 
マーガレット  其の人は奥様にするつもりでしょう。
 
リーシヘン  したら夫れこそ馬鹿です、何うしてするもんですか、快活なあの若い方は、何処へ でも飛んで行けまさあね、それにもう逃げたと云う評判ですよ。
 
マーガレット  あゝ、褒めた事じゃ有りませんね。
 
リーシヘン  一緒になった所で善い事はありますまいよ、あんな娘が真面目に結婚をしようと思っ ても、潔白な男子は彼の女の花冠を裂くでしょう、而して貞節ある女子は、彼の女の 門前に截稿を撒きます。
 
 リーシヘン退場し、マーガレットは家に帰りながら。
 
マーガレット  妾は是迄操を汚がした娘があると聞いた時には、無闇と悪口を云うたものです、 他人の恥辱を云い触らすのに適切な言葉が無いのを悲しんだものです、辱しめた上にも 尾鰭を附けて更に忌わしい様に吹聴し、それでも未だ足りない様に思うて居た、吾れと 我身の潔白を祝い、其れを誇りとして居たのに、えゝ今は自ら罪悪の餌となって仕舞った のか、思えば悲しい、でも妾には嬉しいことは有ったけれど、疚(やま)しい事は有りゃ しないわ。

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