GLN町井正路訳「ファウスト」

第十二場 庭園

 マーガレットはファウストの腕に靠(もた)れ、マルタは メフィストフェレスと一緒に彼方此方を逍遥して居る。
 
マーガレット  貴君は大層優しくして下さいますが、無理から謙遜遊ばしてお揶揄(からかい)にな るのでしょう、旅の恥は掻きすてとやら申しますが、旅人の寛大なのはあてにはなりま せんよ、とう考えましても、妾の話しが貴郎の様な御経験ある御方の御気に叶うわけが 有りませんもの。
 
ファウスト  貴女の一目、貴女の一語は、世の最上の智慧を得たよりも嬉しく感じます。
 
 ファウストはマーガレットの手に接吻する。
 
マーガレット  まあ勿体ない、御口が穢れます、なぜそんな事をなされます、妾の手は此の通りあれて 居ります、御母さんが厳しう御座いますので、何事(なんで)も一人でせなけりゃなり ませんから。
 
 二人は過ぎ行く。
 
マルタ  して貴郎は、いつでも斯様な風に旅行していらっしゃるのですか。
 
メフィスト  はい、商売と職務との為めに始終旅行せねばなりません、面白い処でも永く留まる事 は出来ず、是迄方々で酷(つら)い思いをして別れました。
 
マルタ  世界中をぐるぐる歴廻(へめぐ)って歩くのも、血気の壮んな若い時代には誠に結構 でしょうけれど、老後独身の境遇で、墓に行かねばならぬと云う不愉快な時が廻って来 ますよ、それはあまり誉めた話しじゃありませんからね。
 
メフィスト  左様さ、行先の事を思うと悚然(ぞっ)としますよ。
 
マルタ  ですから貴郎、今のうちに御考えなさい。
 
 二人は行き過ぐ。

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