ファウストは物思いしげに彼方此方を歩み居る所へ、
メフィストフェレス来り会す。 メフィスト 僕は恋の怨みよりも、地獄の烈火よりも、もっと厳しい呪(のろ)いを浴せてやらな くちゃ承知しない。 ファウスト 何事だ、何をそんなに口惜(くや)しがって居るんだ、何と云う恐しい顔をするんだ い。 メフィスト 自分が悪魔でなけりゃ、此の身を悪魔に引渡して了います。 ファウスト 其方(きさま)は気が狂ったな、狂人の役は君に似合って居る。 メフィスト まあお聞きなさい、マーガレットの為に用意したあの宝玉を、僧侶が奪って了った のです。 最初あの婆(ばゞあ)めが宝石を見ると、直ぐ云うに云われぬ恐怖を感じたと云うのが 事の起りです、元来あの婆は鋭敏な鼻を持て居て、何時でも聖書を嗅いでは、其の鼻で 凡て家具などを嗅ぎ、之は清いとか、或は穢れて居るとか鑑別(みわけ)るんだそうだが、必然 (きっと)あの宝玉も多分の幸福がないものと悟ったと見え、娘を呼んで、「不正の富 は精神を狂わし、血を食うものですから、こんな品物は神前に奉納して、其の代り神様 から霊食を頂戴した方がいゝ」と云うて聞かしたが、マーガレットは顔を歪めて居た、 其れは無理もありません、心の中では「之はつまり貰馬(もらいうま)の様なもので、 別に心配するにも及ばない、こんなに上手ら持て来て呉れた人は、必ず善人でしょう」 と思ったが致し方がない、母は直ぐ使をやって僧侶に来て貰った、僧侶は一応此品 の置いてあった場所を検めたが、早くも宝に目がくれて野心を起し、大に婆の意見をほ めて「其れは大そう善い御考です、諺にも、己に克つ者は勝利者だとしてある、教会と 云うものは非常に丈夫な胃腑を持て居るから、有力な国々を食べ尽しても満腹にはなり ません、左様不正な富を消化し得るものは、独り教会あるのみです」と。 ファウスト 其れが所謂る常世だからね、教会は憎むべきだが、猶太人は勿論各帝室が皆其の通り さ。 メフィスト 僧侶め、云い終ると鉤や鎖や指輪などを、まるで塵芥の様に無雑作に衣兜(かくし) へ入れて、胡桃子一籠を貰った時と同様、別に礼も述べやしない、只だ天の報酬を約し て帰ると、二人は切りに有難がって居ましたよ。 ファウスト 其れからマーガレットは、 メフィスト 不安の態で、毎日鬱ぎこんで居ります、どうしたら良いのやら、全く途方に暮れて 昼夜宝物の事許り思いつめて居る、併し之を送ってくれた人の事は一層深く思うて居り ますよ。 ファウスト 意中の人の悲しみは僕を悩殺するよ、早く今一組のを送ってくれ、どうせ最初のは あまり価値のあるものじゃなかったから。 メフィスト 左様、むしろ子供だましに近い物でした。 ファウスト 僕の頼む通り、僕の指揮(さしず)通りにやり給え、君はなぜあの娘の隣人にたよら ぬのだ、君の緩慢さは薄粥の様だね、兎に角新規の品を探して来てくれ。 メフィスト 謹んで御命令を奉じます。(ファウスト去る) 恋の病の亡者め、恋人の娯楽の為めには、日月星辰をも吝まず、空中に吹き飛ばして 了うと云う勢だぜ。(退場) |
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