GLN町井正路訳「ファウスト」

第七場 市街

 メフィストフェレス登場。
 
ファウスト  おい君、あの娘を周旋してくれぬか。
 
メフィスト  どの娘ですか。
 
ファウスト  今此所を通った娘さ。
 
メフィスト  なにあの娘、あれは今牧師の処から罪を許されて帰って来たのです、私は椅子の下に 忍んで其の懺悔を聞いて居りましたが、なに懺悔と名を付ける程の事はない、から 無邪気なものでした、あんな潔白な女子は私の力で及びません。
 
ファウスト  まあ十六七と云うところだね。
 
メフィスト  貴君はまるで放蕩者其まゝの口吻ですね。放蕩者と云うものは概して利己主義で、 義理や人情は念頭に置かず、女さえ見れば、何でも自分の自由になるものと思うて居る のですが、そう甘(うま)く行きません。
 
ファウスト  おい聖人ぶるな、御説教なぞは聞きたくない、僕は簡単に云うて置くがね、あの若い 別嬪を今晩僕の腕に休ましてくれないなら、君との契約は今夜限りで御断りだよ。
 
メフィスト  出来るか出来ないか考えて御覧なさい、僕は好機会を見出す丈でも少くとも二週間は かゝります。
 
ファウスト  僕は七時間の猶予があったら、あんな小娘を欺すに悪魔の助力を借りやしない。
 
メフィスト  貴君は仏蘭西人の様に、喋々(ちょうちょう)と御話になるのは結構ですが、何にも 苦に病む事は無いじゃありませんか、快楽は得て了えば反てつまらぬものです、火急 にやって目的を達したからと云うて、決して面白くはありません、やはり伊太利の恋物語 にある通り、会わぬ前に思い焦れる頃から、会うて互に語り合う迄が花ですよ。
 
ファウスト  何でもかまわぬ、早い方が宜い。
 
メフィスト  然し冗談はさて置いて、実際の所あの美形は暴力でも用いない限りはそなんに急激に 手に入れる事はできません、要するに作戦計画に倚って仕事をするより外はないのです。
 
ファウスト  彼の女に送る物を持ってきてくれ、而して僕を彼の女の寝室へ連れて行って僕自ら女 の胸を開き、靴下止を取ることができる様にしてくれ。
 
メフィスト  貴君の心痛が癒える迄は、一刻も猶予せずに働いて、僕の苦心を御目に掛けます、 これから彼の女の室を見に行きまして、今日中に貴君を御連れ申しましょう。
 
ファウスト  え、今日会えるのか、今日僕の望が……。
 
メフィスト  いゝえ、そうじゃありません、彼の娘は今夜隣人(となり)の家へ往くに相違ない から、其の留守に貴君は唯一人女の移り香のする処で、未来の愉快を予想しながら、 十分楽しんだら夫れで宜いでしょう。
 
ファウスト  さあすぐ行こう。
 
メフィスト  今から行ても仕様がない。
 
ファウスト  そんなら贈物の事はしかと頼んだぜ。
 
 と云い棄てゝ去る。
 
メフィスト  直接に贈るのが一番だ、必然(きっと)成功する、宝の埋もれて居る場所は沢山ある が、小娘の気に入る様な品を捜さねばなるまい。(退場)

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