GLN町井正路訳「ファウスト」

第四場 書斎

メフィスト  先ず更に歩を進むるに先立って、君は如何なる専門を撰んだか話し給え。
 
学生  私は学理の蘊奥を究めたいと存じます、地上にあるもの、天上にあるものも、即ち 凡ての学術と自然とを理解したいと思うて居ります。
 
メフィスト  それでは君が当処へ来たのは、益々其の当を得て居たのだ、しかし、注意力を攪乱分離 せぬ様にしなければなりません。
 
学生  はい、身心を尽くしてやります積りですが、僅かの休暇を時々貰いたいのです、空が 晴れて野原が美しい、夏の愉快な休日には、何の思もなく自由に放浪致したいと思うの です。
 
メフィスト  光陰を利用し給え、飛箭(ひせん)の如く過ぎ去るものは光陰です、乍併方法に因ては 節約することもできる、其の方法とは外でもないが、先ず論理学から始めるがよい、之 を研究すると、丁度西班牙靴の刑具に引きしめられる様に、よく精神が整理する、論理学 を修めると、慎重に思想の行路を進める事ができて、如何なる方向に向おうが鬼火の様 にふわふわする心配はない、そうすると君は数日を出でずして、是迄飲んだり食べたり する事の様に、簡単にやって来たものにでも、矢張一二三が必要であると云う事が分って くる、思想の構成も、機織る人の妙技と同じ事、一枚の踏板に幾千の糸が動き出し、梭は 前後に飛び、糸は目に見えずに交錯し、僅かの一撃が千万の組み合せとなるのだ、之を 哲学者に云わせると、直ぐ論理学の筆法で来る、先ず第一が左様であったら、第二も その通り、従て第三第四も同様である、若し第一第二がそうで無かったら、第三第四も 決してそうでないと云う様な安排(あんばい)さ、之は各国の学者が皆其の必要を認め て居るが、未だ嘗て新機軸を出した織手の出た事を聞かない、若し又活動を研究して之を 描写しようと思うなら、先ず其の中から精神を追出して、死骸の方を調べるがよい、 精神の方は手をつけた所で、関係が複雑で解らぬよ、化学者は此の連環を自然作用 と呼んで居るが。実はどんなものだか、解りもしないで嘲って居るのさ。
 
学生  私には先生の御説が一向に分りません。
 
メフィスト  君は万物を適当に還元し、分類する事を学ぶと直ぐ解かるよ。
 
学生  御説を承りまして非常に錯雑しました、私の頭の中は水車が転って居る様に感じます。
 
メフィスト  其の次に、何よりも先に学ぶべきものは、形而上の学問だ、之をやると人間の頭脳に 適合せぬものを、深玄に考えることができる、而して能く理解した場合にも、亦詐 (ごまか)す場合にも、約に立つ調法な立派な言葉を覚えてくる、初めの半年間は厳重な 規律の下に毎日五時間ずつやり給え、時計が鳴ったら教場に這入り、前以て章句を誦読 して十分準備するがよい、そうすれと教授と云う者は教科書に書いてあること以外に、 何一つ教えぬことが能く分かる、それでも君は聖霊から教授を受けるつもりで熱心に 筆記するがよい。
 
学生  その事なら承知致して居ります、筆記ほど大切なものは御座いません、誰でも紙に墨 で画いたものは安心して家に持ち帰る事が出来ますから。

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