GLN町井正路訳「ファウスト」

第四場 書斎

メフィスト  兎に角一専門科を撰びなさい。
 
学生  私は法律学には甘んじて就くことが出来ません。
 
メフィスト  自分はよく此の学科の性質を知って居るから、君等の嫌がるのを叱る訳には行かぬ、 法律と云う奴は、痼疾な疾病の様に代々遺伝もし、処々方々へ伝染もする、道理が勝って も、無意義に法律の力で屈伏されたり、慈善を行って罪に問われると云う様な事がある、 君は子孫たるの故を以て、徒に祖父の法律を戴かねばならぬのは気の毒だよ。
 
学生  私の法律を嫌悪するの情は、先生の御言葉で益々強められました、是非御指導を願い ます、私は神学を修めたいと思うのですが如何でしょう。
 
メフィスト  私は君を誤らしむるを願わない、此の学科では迷路を避けることが困難だ、其の中には 隠れた沢山の毒があって、之を薬と識別する事が出来ぬのだ、でも君がやりたければ 一人の教師に就いて、其の人の云うことのみを聞くがよい、要するに神学の文句に通暁 すると、君は安全な門を通り抜けて、正確な殿堂に達することが出来るよ。
 
学生  併し、文句には思想がなければなりますまい。
 
メフィスト  其の通りだ、然し両者の関係に就て深く懸念する程の事はない、思想の曖昧な時にも、 能く言語(ことば)が表われて来るじゃないか、言語を以て人は巧に議論し、又立派な 系統を立てる事もできる、言語を信ずるのは難事でもなし、別に損の行くことでも無い のだ。
 
学生  色々質問を致しまして誠に恐縮ですが、今一つ御伺い申したいのです、医学に関して も、意味深重の一二言を御聴かせください、三年間は時の間ですが、開拓すべき原野は 茫々として際限(かぎ)りがありません、私は案内無しに辿るよりも、先生の御経験を 承りまして、原野に於ける最上の道を見出すのが安全だと信じます。
 
メフィスト (学生に聞えぬ様に独語する)
 俺は此の学術的口調に飽きて了った、一番悪魔の本性を現わしてやるぞ。 (学生に向って声高に云う)
 
 医学の精神は、之を理解するに極めて簡単だよ、医者商売程わけの無いものは ない、先ず自然界と人間界の一通りを研究するのだが、若し行きつまったら、運任せに するより外はない、科学的に一円に遍歴するなどは、とても出来るものでない、人間は 学び得らるゝ丈しか学ばれはせぬ、しかし、瞬間を捉えて之を利用するのが偉い人なん だ、君は可なり容貌もよし、常識もあるし、それに胆力も据って居るから、君さえ自分 を信用すれば、世の信用を博するのは受合だ、わけても婦人を御するの術を学び給え、 女子の噫(おゝ)、嗟(あゝ)は聞いて居ると果(はて)しがないが、一点から癒や すことが出来る、若し君が程よく礼儀を尽せば女は直ぐ自由になる、其れから君の技術 が大概の人に優って居ると云う事を示すのに学位が必要だ。之さえあれば人が多年瞞着 せんと望んで居る特権は、尽く得られる、次に如何に巧に脈をとるべきかを学び、而して 大胆に燃ゆるが如き流眄(ながしめ)で、婦女を偸視し、繊い腰の辺を自由に按(さす) って、緊身袷(むねあて)がゆるんで居る否やを見るのさ。
 
学生  成程其の様なものですかな、御指導を得まして、兎に角方向と方法とを会得致しまし た。

[次へ進んで下さい] [バック] [前画面へ戻る]