ファウスト
君にはあの作物や切株などの間を徘徊うて居る黒犬が見えないか。
ワグネル
はい、先程見ました、しかし格別気にもとめませんでした。
ファウスト
君はあの動物を何だと思います、よく見たまえ。
ワグネル
矢張本性通り主人の踪跡を嗅ぎ廻って居る尨犬(むくいぬ)でしょう。
ファウスト
君はあの犬が、大きな螺旋状の圏(わ)を画いて、吾々に近づいて来るのに気が
着かぬのか、若し僕の見誤りでなければ、彼奴の歩みに一条の火を引いて居るぜ。
ワグネル
僕には唯一匹の黒尨の外、何も見えません、其は必然(きっと)御目の迷でしょう。
ファウスト
僕には彼奴が軽い魔法の罠を、僕等の脚の周囲に引き廻わして居る様に見える。
ワグネル
飼主の代りに、見慣れぬ二人が居るものだから、彼奴うろうろして僕等の周囲を
跳廻って居るのですよ。
ファウスト
環が狭くなって、彼奴はもう近間に来た。
ワグネル
御覧なさい尨です、妖怪なぞは此処に居りません、彼奴吠えたり、疑ったり、、匍匐
(はらば)ったり、尾を振ったりして居ります、全く犬のする通りです。
ファウスト
来い来い、僕に着いて来い。
ワグネル
これは、可笑な尨だ、先生が静かに立止まると彼奴も後足で坐ります、言葉を御
かけになると、媚び歓んで飛んで来ます、何か放擲って御覧なさい、直ぐ取りに行き
ます、先生の”杖”を取りに、水の中でも飛び込みますよ。
ファウスト
君の云う通り、些も妖精らしい所が見えないね、仲々よく練習したものだ。
ワグネル
能く慣された犬は、主人の気に入る方法を心得て得るから、いくら真面目(まじめ)
な人でも愛せぬ理(わけ)には行かぬ、此の尨犬は十分先生の寵児たるの価値があり
ます、多くの学生中抜群の者たるを得ます。
ファウスト、ワグネルと共に城門に入る。
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