メフィスト
大神様、御久し振りで御座いました、是迄も度々御呼よせになって、親切に安否を
御尋ね被下れた嬉しさが身にしみて、今日も亦御従者の中に雑って御前にまかり
出ました次第であります、何卒御免下さい、僕には上品な口が利けません、幾許皆様が
御嗤(おわら)いになっても仕方がない、貴方様でも嗤う事を全く御やめなされました
なら兎に角、必然僕の悲憤な口調を聞かれて腹をかゝえらるゝに相違ありません、はい、
僕は日月星辰に就ては何も申上げる事は御座りませんが、只だ人間が自分で自分を
苦めて居るのを御話したいのです、地上の小さな神、あの人間は矢張依然たる昔日の状態
です、若し貴方様が彼等に天の光明を与えなかったら、幾許か昔に立ち優った生活を
送ったでしょう、彼等は其を「理性」と呼であがめ奉て居るが、其の為めに反て野獣
よりも一層獣的となり下がる様だ、恐れながら僕の眼から見ますと、彼等は全然(まるで)
脚の長い蟋蟀(こおろぎ)です、始終跳ねたり飛んだりして、叢の裡で古いふるい歌を
唱って、何時でも臭い塵芥や汚汁の中に鼻を突き入れて居る蟋蟀同然です。 大神 それ丈けか、別に云う事は無いのか、其の方は不相変非難を唯一の目的と致して居るな、 地上には曾つて其の方の気な適うた者は無いと申すのか。 メフィスト はい、僕が地上で看るものは、昔日同様憫れな光景ばかり、浅間敷い日を送って居る 人間共を看ると、いやはや可憐そうになって虐待(いじめ)付ける気も出ない 位です。 大神 其方はファウストを知って居るか。 メフィスト あの博士ですか。 大神 我が従僕の。 メフィスト 本当に、彼奴は全然別天地の人の様な顔をして貴方様に仕えて居ます、あの馬鹿者の 飲食物は此の世の物でない、彼奴の内心は醗酵して天外に飛んで居る、彼でさえ幾分か 狂態を自覚して居ります、天に対っては燦然たる群星を求め、地に対っては最高の歓楽 を求めると云う風ですが、しかし天地両界に於ける凡てのものを与えた処で、深く 焦燥ってる彼奴の心を満足させる気遣いはありません。 大神 今こそ彼の心は思い乱れて迷うて居るが、元来意志は確かなものだ、遠からず、 彼を光明に導いてやる、芽の出た時既に園丁は花と実とが来ん年を装(かざ)るを 知って居るのだ。 メフィスト 何を賭けましょう、何を賭けても若し貴方様が彼を自由にすることを僕に許して 下されば、彼は再び貴方様の従僕では御座いませんよ。 大神 彼が此の世に活きて居る間其方の自由に致すがよい、人間と云うものは慾望の旺んな 内は、兎角過失に陥り易いものだ。 メフィスト こりゃ有難い、僕は瑞々(みずみず)した顔が好きなんだ、死んだものなぞは 大嫌い、僕は屍が通り過ぎても戸を閉めます、猫が鼠を貰うと同じで、死んだのじゃ 御馳走とは思いません。 大神 宜しい、許して仕(つか)わす、若し其方が彼をつかまえ得るものなら、捕えて 魔道に曳き入れて見よ、しかし「正しい人間は逆境に処しても、正義を自覚するものだ」 と其方の口から白状する様になった其時は、大に恥ずべしだぞ。 メフィスト はい、結果は直ぐ分ります、なに僕は断じて賭は恐れません、若し僕が成功したら 大に凱歌を奏しますから許してください、僕の伝令職たる蛇が、昔から今尚お食って 居る様に、彼奴も必然塵を喜んで食いますよ。 大神 其方の好む通りに試みるがよい、余は其方如き者を憎んだ事はない、余に抵抗する 妖精の中でも、余を公然嘲弄(ちょうろう)する様な物どもは少しも憎くない、 人間の活動力は懶惰(らんだ)に流れ易く、人は直に制限なき安逸を貪ろうとするから、 其の伴侶として悪魔を伴うの必要がある、悪魔は人間を刺戟する功があるのだ、さて 汝等天の児は活々した無限の「美」の中で楽むがよい、活動して瞬時も止むことなき 造化よ、幸福なる愛の糸に彼等を繋ぎ、不可解の現象の中に彼等を迷わせぬ様、 不朽の思想を以て捉えさせ給え。 天堂閉じ天使等消え失せる。 メフィスト 俺は時々天帝のを見るのが好きだ、だから絶交しない様にしているんだ、 大神様が悪魔とすら新設に談話すると云うのは、実に慇懃を極むと云うべしだ。 |
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