座主、作劇詩人、滑稽子、登場。 座主 必要な、且つ困難な場合に、屡々僕を助けて呉れた御両君、 独乙に於ける余が這回(こんど)の演劇に対して如何なる御意見を有して居らるゝか 承りたい、僕は心から看客を歓喜せたいのです、何故かと云うに劇の生命は即ち僕の 生命であるからです、両君、劇場の柱は立ち舞台の板は並びました、看客は幕の開く のを待ち構えて居ります、看給え、彼等は既に席に著いて何か変った演劇を見ようと 静粛に眼瞼(まぶた)を挙げて居るでしょう、そりゃ僕でも何うしたら人の心を 和げ得らるゝか位の事は知って居ります、けれども這回と云う這回は進退維谷 (これきわま)って了った、彼等は傑作にこそ慣れて居りませんが、多読にかけては 実に驚くべきものです、だから斬新で愉快で且つ教訓になる演劇を見せようとするには、 果して如何致したものでしょういか、看客が這般(こんな)に数限りもなくやって来る のを見て、僕は実に愉快に堪えません、滔々として潮の寄せ来る様に、窄い木戸口から 引も切らず流れ込むのを見ては、何とも云われぬ歓びを感じます、四時にもならない 此の白昼から、押し合い圧(へ)し合い出札所に押寄せる状(さま)は、 恰も凶年に麺麭屋(パンや)の店頭に於ける雑踏を見る様です、斯る雑多の看衆を あっと許りに嘆賞させる腕を持って居るものは独り詩人あるのみです、 何卒君一つ今日は技倆を見せて呉れ給え、今顕わして呉れ給え。 詩人 えゝ、あんな雑然たる群衆の事は話して呉れ給うな、見る丈けでも魂が消え去る様だ、 兎(と)もすると渦中に捲き込もうとする群集の怒涛ではなく、静閑な幽邃の地へ連れて 行って呉れ、詩人に清き想を湧き出さしめるのは、愛と友情とが神の様な手で幸福を 産ませ、且つ之を守って呉れる静閑な天地許りです、噫、心の奥底から湧きかけて 来た奇想も、今将に唇頭に上らんとして居る妙案も、此の殺風景な騒擾に倏忽 (しゅくこつ)として消え去って了う、思索は幾年の苦心焦慮を経て始めて完璧と 成って現われるもので、世の所謂眩燿(げんよう)たるものは畢竟瞬間の産物たるに 過ぎないのだ、真に貴いものは時と共に滅びるものではない、後世子孫に迄伝わる べきものです。 滑稽子 オット、之はしたり、子孫なんかとは、ちと耳ざわりですな、乃公様(おれさま) が子孫後世なぞを云々した日にゃ、さしずめ現在生きて居る人を笑わせる者が なくなります、若し快楽を欲せぬと云う御仁があったら御目にかゝりましょう、 大丈夫ありっこなしです、そこで乃公様の様な洒落人が生れ出ると云うわけさ、 エヘン、乍憚拙者儀は快活の問屋で御座るに依て、冷遇の冷水をあびせかけられた 位ではなかなか、イヤあべこべに大勢御ざれ、ころりと感動させ申そう、 ですから是非一つ御奮発なすって先生自ら範を御示し被下い、理性、分別、知覚、 熱情と云った様な鹿爪らしい想像の子分なんかは先生の御手のものだが、然し乃公 と申す者を脱しちゃいけませんよ。 座主 だが特に事件を十分多くして下さい、看客は看に来るので、看るのが何より楽 (たのしみ)なんです、 ”もし”貴君が大勢の客の眼前に、開いた口の塞がらぬ程沢山な事件を紡ぎ出して くだされば、分量に於て直に成功し、一挙にして好評を博するに相違ありません、 要するに貴君には多数を以て多数を制するの一法あるのみです、夥多の事件を描いて 置けば、看客は其の中から自分の好きな処を選みなす、多く齎らすものは多くの人に 与え得る道理、それで皆様が満足して御帰りになれます、若し貴君が一塊の肉を御遣しに なるのなら、刻んで御やりください、斯の如き截肉は必ず成功します、思付きが容易 であると同様分配も亦容易ですからね、塊肉のまゝで出したって鵜呑にするわけにも 行かず、折角の貴君の御配慮には無頓著で、やはり寸断して持ち去るのが落でしよう。 詩人 噫、君は斯の如き手段の如何に陋劣極まるかを知らないのだ、真の美術家にはとても 出来はしない、かの滔々たる世俗の拙作者ならばせいざ知らず。 座主 爾んな避難をなすっても私は動きは致しません、旨(うま)く事を為さんとする者は 最良の利器に頼るべしです、御熟考ください、貴君が割ろうとして居るのは軟かな木です、 貴君はどんな連中の為に述作(かく)んですか、考えて御覧なさい、倦怠して来る客も あれば、食過ごして来るのもある、酷評すれば大多数の看客は、新聞を見て丁度 仮面舞踏に馳せ行くと同様にやって来るのです。夫れで、御客様の足に翼をつけるのは 好奇心許りと云うてよい。又あの盛装を凝らした窈窕たる淑女は、看客の目をひくから 俳優の加勢をしてくれる様なものです、あゝ、貴君は高尚な詩想に何を夢みて居る んですか。とくと看客を御覧なさい、半ば冷淡で半ば無趣味な連中で、閉場後歌留多の 勝負を夢みて居るか、或は娼婦の懐に卑しい一夜を冀う奴許りです。貴君は何故そう 没分暁漢(わからずや)でしょう、何故こんな連中の為に尊いミューズを煩わさうと なさるんですか、構いませんから、たゞ多く御作り下さい、多々益々弁ずです、 成功は多分疑ありません、どうせ大勢を満足させる事は困難のですから、たゞ彼等を 煙に巻くのです、オヤ、貴君はどうしました、歓喜んでるのですか、悲んでるのですか。 |
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