GLN町井正路訳「ファウスト」

「ファウスト」解題

 三、戯曲としてのファウスト
 「ファウスト物語」を資料として韻文に綴り、以て不朽の文学たらしめたのは、 我が詩聖ゲーテを除いては、独り前述マロウェーがあるばかり、で彼の著 「博士ファウスタスの悲惨の伝記]は劇詩として十七世紀の始めに出版せられた のであるが、併しそれはフランクファトの「ファウスト物語」を其の侭巧妙な 韻文に改作したに過ぎ無いのであった、で此の劇詩一度出ずるや、英国到る処の 劇場で演ぜられ、之れを知らぬ者は無いようになった、やがて英国の旅俳優は更に 之を独乙の劇場に演じ大に喝采を博したので、従来の独乙公民劇は大に其の感化を 受けたのであった、斯の如くにして独乙の公民劇「ファウスト」は種々の変化を受け、 老練な管理者によって興行された都度に多少ずつ改良され、十七世紀の半ばになっては 最早独乙全国に広まり、十八世紀に入ても屡々演ぜられた、で十七世紀の末葉からは、 人形が俳優に代って「ファウスト劇」を演じ、人形劇として称讃せらるゝに至った、 それで人形劇も亦マロウェーの感化を受けたこと勿論であったが、稍々内容を異にし 且つ新思想を含んで居った、で其の人形劇の大意は斯様であった。

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