今上述した数種の物語の中から、作者が潤色した部分を除去し、原物語に
稍々近いものに就て略述して見よう。 羅馬教は所謂、世界の悪魔が降服して、耶蘇自ら千年間此の世を支配するという長き 時代の間、欧州に勢力を振ったのみならず、真理と美との領域をも支配したのであるが、 独乙国の一部に道徳改革の気運が萌えてから、嘗て知られ無かった新知識の分布と、 永く埋没せられて居った古聖賢の遺書の発掘とは、中世紀の眠った人士に刺激を与え、 思想の潮流は漸次進歩の方向に向い、基督教新約全書の教と共に、亜細亜の思想と 阿弗利加の文物とは、やがて欧州に伝播するに至った、之は加うるに、冒険な航海者は、 其の齎らし来った新奇なる諸国の習慣風俗を欧州に伝え、一方には又希臘の古書の 発見と共に哲理の蘊奥が解せられたので、久しく羅馬教の下に圧服せられた者も、 漸く長夜の眠から醒め来り、宇宙の真理を闡明(せんめい)せんが為めに、思を凝らして 生存の神秘を研究するようになった。斯の如く人智は稍々進歩の潮流に向ったにも拘らず、 尚お依然として旧態を改めない者があった、それは正教の僧侶と一般の愚民とである。 右の如き有様であるから、未だ嘗って見聞したことの無い物理的現象と、化学的反応とを 目撃するや、寺院と僧侶の教義との外には、何者をも包容して居ない彼等の頭脳は、 これを理解し能わぬのは当然で、彼等は「これ正に地獄の百鬼来って諸聖を煩わす ものである」と騒ぎ出し、比隣相伝えて針小棒大の説を為したことは疑う余地が無いので、 それで伝説は波動的に羅馬教の勢力の布かれざる遠隔の地にまで及ぼし、そこらの愚夫愚婦 も好奇心に煽られて之を傾聴するに至った、其の後になって、英国は宗教の自由を得んが 為めに屡々運動し、伊太利は異教文学の研究に先鞭を着けたが、しかもルーテル、 ロイフリン、パラセルサス等の如き改革者を出したのは実に独乙(ドイツ)又は 瑞西(スイス)であった。 |
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