GLN町井正路訳「ファウスト」


 想起す十七年前、自分は東京を辞し、笈(おい)を負うて札幌に赴き、 現東北農科大学の前身たる札幌農学校に遊んだ、現代の − 其の当時も 勿論同様 − 高等教育制度は、著しく専門的発達をなさしむ可く組織 されてあって、学んで後之を応用するに当ては、物質上非常に便宜を得る のであるが、修学中は之が為めに少からず苦しめられるゝのである、 乃ち一専門学科に於て修むべき分科目の数は実に夥だしいもので、大学に 於ける各講座は、これ等の数多き学科に就て夫々該博なる知識を供給すべく 常に忙殺されて居る、随て多くの学生は頭脳に些の余裕無く、勢物質的に 偏せざるを得ないのである。
 
 札幌在学の当時、自分は前記の苦痛から脱逸することを得る勢力を 養う可く、偉大なる思想の書を耽読することゝした。
 
 エマーソンは曰く、Let him read what is proper to him, and not waste his memory on a crowd of mediocrities, と、自分に取ての proper なるもの果して何か、 Bible か Shakespeare か Cervantes か将た Confucius か。
 
 其の当時のことである、恩師新渡戸先生の約翰(ヨハネ)(St. John)伝 の講義を聴いたが、其の折ファウストが約翰伝を訳するということに就て、 概略の講説をも聴くことを得た。良書に渇して居った自分の心は、 這般(しゃはん)恩師の講説に依て大に興奮し、忽ちにして「ファウスト」 に引きつけられて了ったのである。
 
 併し「ファウスト」の難解なること実に意量の外であった、で少からず 頭脳を痛めて研究したが、其の研究はやがて学校を卒えて、一時某々の 学校に教鞭を執り、次で某々専門校の主理者に任ぜられた際までも継続 したのである、斯くの如くにして得た結果が、本書ゲーテ「ファウスト」 の訳本となったので、しかもそれが一旦脱稿したる後 − 自分専門の 職務に忙殺された為め − 数年間放擲(ほうてき)するの止む無き 事情であったのである。

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