私の神道「死後観」

遺志のこと

「或る人問う」
 このような考えは、死後の世界は(現世の延長上にあるように取扱っての こととして)現世よりもマシな世界である、と信じさせることにより、 遺された者達の心を癒そうとする考え方であろう。
 
「我は想う」
 逝った人は、
①まだやり残した事がたくさんあるのに……
②ほぼ満足な一生であった……
③私のこの生涯の幸運を後進に分けてやりたい……
④まだまだ、子弟のことが心配だ……
⑤私の一族は私の代で終わりだ、跡継ぎはなくてもよい……
 ……。
 
「或る人問う」
 逝った人はまた、
①私は生前、法を犯した(例えば軽微な違法行為)ことが何度かあったので、 もし運良く天国へ行けたとしても、決して居心地の良い所でないかも知れない……
②私は生前、ある人の心を傷つけたので、今、後悔しているが、まだその人は 私を恨んでいるようなので、これからは地獄のあまり怖ろしくない片隅で、 ささやかな懺悔の生活を営みたい……
③私は(病気や事故などで)苦しんで苦しんで死んだが、 遺してきた子弟達が愛おしいので、彼等の近くに留まって、扶育支援をしてあげたい……
 
「我は想う」
 ……。
 
「或る人問う」
 やがて、月日が経過すると、遺された私共は、
 「あなたは天国で安らかに過ごされているかもしれないが、 今私共は、困難な状況にあるので、
①何とか良い方法を教えて下さい……
②あなた方先祖先人の恩徳を授けて下さい……
③どうか、私共を幸せにして下さい……
 ……。
 
「我は想う」
 ……。

[次へ進む] [バック]   前画面へ戻る