「或る人問う」 今までは、行動を伴うスイッチと云うか、身体の表面に表れるスイッチ (以下「外向けスイッチ」と云う)について考えてきたが、 何だか物足りない気がする。もう一つのスイッチが…… もう一つのスイッチとは、例えば読書をしたり、試験問題を解いたり、 コンピュータ・プログラムを考えたり……。 「我は想う」 詩作に耽るのもいいね、昔の思い出を偲ぶのもいいね、夢を実現するための計画を 練るのもいいね……(以下「内向けスイッチ」と云う)。 「或る人問う」 外向けスイッチを行使し得る状態の人は、内向けスイッチも順調だと思うが……。 「我は想う」 内向けスイッチを「思考する」ことと定義すれば、より分かりやすい。 「或る人問う」 と云うことは、この世の全ての思想哲学は、心身とも健全なるヒトを対象に構築され 展開されているからだね。 「我は想う」 「思考力」は、目覚めているときも、眠っていて夢を見ているときも、 停滞したり、休止したりすることなく、絶えず更新し続けている。 「或る人問う」 ヒトに限らず、森羅万象悉く、全ての物は絶えず更新し続けているんだね。 したがって、思想哲学についても、それは固定された概念ではなく、 時の経過と共に、絶えず更新し続けているんだね。 「我は想う」 うむ。うむ。 ※別掲「死後観」参照 |
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