私の神道「スイッチ」

スイッチ

「或る人問う」
 「神経細胞は電気を使って情報伝達する」。即ち、この人間は、現に生きている。
 この場合、そのスイッチを操作するのは、本人であることには間違いないが、 その引き金となるのは?
 
 なお、この場合のスイッチ及びその切り替えとは、これから何をしようか、 何を考えようか、それが終ったら、次は何をしようか、またその次には……、 と云うことである。
 
「我は想う」
@自らの意志によって、スイッチの切り替えをする場合
A誰かからのサインで、スイッチの切り替えをする場合
とが考えられよう。
 
「或る人問う」
 ここでは、まず@自らの意志によって、スイッチの切り替えをする場合 について考えてみよう。
 
「或る人問う」
 そこで、補助的役目を果たすのが、暦、時刻、季節や気象、テレビ番組など報道関係、 手帳のメモ書き、昨夜の夢のこと、洗顔のときに鏡を見る、食欲、生理現象……。
 
「我は想う」
 それらの中で、最も影響力のあるものは、「鏡の中の自分」ではないかと考え られよう。
 
「或る人問う」
 うむ。そうかも……。
 
「我は想う」
 さて、お祓いをすることで、「不可思議な世界へ突入した」と記した (前記「不可思議な世界」の項参照)が、このときのスイッチは、 それを切り替えることで、
@通常は、先入観をそのままにして、更なる「気」で全ての物を覆い包み込んでしまう (前記「先入観」の項参照)。
A更に行動力のある人は、先入観の是非についてまでも言及しようする 「気」をも入手出来るかもしれない。
のいずれかの方向へ進んで行くことになる。
 
「或る人問う」
 この場合の行動力とは、ヒトの本能に由来する正義観と云うことだね。 どんな強権を背後に持つ思想哲学でも、ヒトの本能に由来する正義観に勝つものはない。 私共は、勇気を以って行動を起こそうではないか……と云うことか。
 
「我は想う」
 正義観は、心身を清浄することによって、更に「磨きがかかる」ことになろう。

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