私の神道「更新」

現状打破

「或る人問う」
 人が成長すると云うことは、その過程は全て「現状を打破」して行くこと である。
 脱皮と同じことなのだね。
 
「我は想う」
 人が肉体的にも精神的にも、成長すると云うことは、現状打破でもあるし、 脱皮でもあると考えられている。
 
「或る人問う」
 現状打破とは、ある瞬間の事象 − 均衡 − を打ち破ることなので、 例えば、「友人との信頼」を裏切ることでもあるんだね。
強者は必ず勝つのか
 
「我は想う」
 均衡=現状と捉えると、正に友人との信頼を裏切ることも、成長していく過程での 現状打破も、同じことと理解出来よう。
 
「或る人問う」
 友人との信頼関係を裏切ることは、道徳的に、正義に反する行為では?
 
「我は想う」
 裏切りがなければ、人は成長しないと断言出来る。
 
「或る人問う」
 えっ!!!
 
「我は想う」
 それは、あなたが、「裏切りは悪」と云う先入観であるからであろう。
 
「或る人問う」
 ええっ……。
 
「我は想う」
 例えば、囚人が改心して社会に復帰することは、旧友たる囚人達からすれば、 裏切りであろう。独身者が結婚することは、親友である独身者達からすれば、正に 裏切りであろう。
 
「或る人問う」
 つまり善意なり、自然の成り行きなど、前向きの裏切りは良い、と云うことだね。
 でも、裏切り行為の是非は、誰が判断するのだろうか。
 
「我は想う」
 ……。
 
「或る人問う」
 現状に甘んじている親友達の嫉妬なのであろうか、傲慢なのであろうか、 いじめなのであろうか……。
 
「我は想う」
 親友達の立場は、例えば大海に浮かぶ小船の中なのか、教室の中なのか、大浴場の 中なのか、いろいろ事例が考えられるが……。
 
「或る人問う」
 親友達は、現状の信頼こそが、最良であるとしている……。
 
「我は想う」
 現状を死守しようとすればするほど、それを裏切る行為は批難される。 しかし、現状 − そこに営まれている約束事(例えば、たまたま体重がピッタリ の者同士とか、貰うお小遣いの金額が同じであったときに出来た者同士とか) − と云うものは、時間の経過と共に、その均衡が失われてゆくものなのだ。 この場合、ある一人が失恋したために、その腹いせに大食いして体重が増えたとか、 また一方では両親からの仕送りが途絶えたとか……。その結果として、裏切りが 行われる……。
 
「或る人問う」
 例えば、平和集団と武装集団とか、勤勉組と怠惰組とか、善玉と悪玉とか、 二次元で物事を処理しようとすれば、当然、自分の属する乃至指向する集団を味方、 その相手を敵方と決め付けようとするんだね。
 
「我は想う」
 前述のように二者択一(二元論)においては、物事を敵味方に分類することは 分りやすいことではあるが、私共の頭脳は、それでは「あきたらない」のである。
 
「或る人問う」
 と云うことは、一度築き上げた約束事(=思想哲学)は、人類が進歩すればするほど、 その約束事は変貌して行くことなんだね。
 自然の摂理に従いながら人類は進歩し続ける。従って、思想哲学も変貌し続けるんだね。
 
「我は想う」
 うむうむ。
 
「或る人問う」
 自己の思想哲学の変貌の様子を、同士に披露(=公開)する恰好の場が、 神前での人生儀礼……。
強者は必ず勝つのか
 
「我は想う」
 神前において気分を新たにし、過去の行状を踏まえて、現状を改めて認識しつつ、 これからの意義ある将来をめざしてと旅立つことになろう……。

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