※相応しい 「或る人問う」 ここで云う「相応しい(ふさわしい)」とは、 「似つかわしい。似合っている。つり合っている。ぴったりだ。(goo辞書)」 のことと理解するが。 「我は想う」 ……。 「或る人問う」 「相応しい」とは、私共が当然に想像していたとおりの現象を、 私共に提供してくれることである。 例えば、 @「夏に相応しいお天気だ」とは、そのお天気とは、かんかん照りの暑い日のことである。 A「花嫁に相応しい態度」とは、若々しくて、初々しい(ものなれない感じで、好感のもてるさま) 態度のことである。 B「リンゴに相応しい味」とは、その味は、正に健康的で瑞々しく美味しい味のことである。 このように、「相応しい(現象)」は、私共の想像を裏切ることはない。正に理想であり、 真実である。 しかし、「相応しい現象」は、時間の経過と共に変化することである。 例えば、 @春が過ぎれば、暑い夏となり、ゆがて秋になる……。 A花嫁は、歳が増せば、やがて家計をやりくりする主婦になり、賢母になる……。 Bリンゴは、枝を低く垂らせて、熟してゆく……。 しかして、 @このような好ましいところの「相応しい現象」は、 A「時間と云う裏切り行為」によって、 B次の「相応しい現象」 へと変化してゆくのである。 もしそのとき、時間が停止していたら、 @夏のお天気は、砂漠化をもたらし……、 A花嫁の態度は、(飾られた女雛のような)木偶の坊(でくのぼう)になり……、 Bリンゴの味は、リンゴばかりを食べることにより、糖分のとり過ぎになり……。 など、我々に対して、決してよい結果をもたらしてくれない。 もし、「相応しい」から時間を奪い去ったとしたら……、 @夏のお天気は、言葉としての「気象現象」になり……、 A花嫁の態度は、二度と体験出来ない、空想の出来事になってしまい……、 Bリンゴの味は、栄養分析に関する解説本……。 のような無味乾燥な次元へと、私共を連れて行くのである。 「我は想う」 したがって、「相応しい」ところの現象は、時間と共に、次々と更新されてゆく、 と云うことなんだね。 「或る人問う」 えっ!! 「我は想う」 換言すれば、森羅万象私共は、脱皮を繰り返し、また裏切りを繰り返すことにより、 新しい理想的な「相応しい現象」へと更新されてゆくる、と云うことなんだね。 「或る人問う」 もっとも! |
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