「或る人問う」 「祓え」の趣旨が自力なのか、他力なのかに迷ったなら、まず、 鎮守の杜へ足を運んでみることだね。 そして、神前において、神職から「お祓い」を受けることだね。 「我は想う」 神前での「お祓い」は、実は、物理的な効果を期待すること以外に、別の側面 があると考えられよう。 「或る人問う」 別の側面とは? 「我は想う」 それは、習慣的とでも解せられるが、人皆、神社にしろ、寺院にしろ、教会にしろ、 また自宅の神棚、仏壇、十字架等々の前では、敬虔な気持を抱くことである。 特に、鎮守の杜をしずしずと進み入って、やがて社殿の前に至ることで、既にして、 心身が洗われた気持になるであろう。理屈を抜きにして、そのような清々しい気持に なるのである。更にそれに追い打ちをかけるように、昇殿してお祓いを受けると、 そこには最早「思想」を超越した世界が広がるであろう。 「或る人問う」 不可思議な世界へ突入したんだね。 「我は想う」 えっ……。 |
[次へ進む] | [バック] |