「或る人問う」 ここで云う「本性」とは、 ……「生まれつきの性質。本来の性質」また「正気。本心」 ……のことと理解するが。 「我は想う」 私は、私共の生まれながらの本性は、善と云うか、無垢と云うか、 正常と云うか……。 「或る人問う」 と云うことは、森羅万象は全て、それぞれがそれぞれの目的をもって存在し、 その存在が意義あるものであり、無駄とか、無意味とか、邪魔物とかではないんだね。 しかしてヒトは、 ①「宇宙の中で特別な存在」であるとか、 ②「生まれながらにして罪人」であるとか、 ③あるいはまたヒトの生涯は、「苦悩に満ちた人生……」と云う考え方も……? 「我は想う」 うむ。うむ。 そのように考えることは間違いではないと云うか、そのように考えることによって、 自己を律すると云うか、自己の果たすべき義務を明確にしようとする……のでは ないだろうか。 「或る人問う」 すると本性とは、無味無臭の、癖のない、若葉の上の水玉…… のようなものだと云うことになる……? 「我は想う」 うむ。 「或る人問う」 しかし! しかし、例えば、父が乱暴者であったり、母が薬中毒であったり、その父母が 結ばれて、 例えば、母胎の中で成長するとき、肉体的な被害……暴力とか、不摂生な食事とか、 薬浸けとか……、 また、精神的な抑圧……イジメとか、恐怖体験とか、家庭不和とか、知人肉親の 不幸とか……、 そのようなとき、胎児に全く影響がないとは考えられない。 そのようにして誕生した子供は、若しかしたら、病弱と云うか、 正常ではないと云うか……、であるかも知れない。 したがって、そのような子供の本性は、非常に脆いものではないだろうか。 やがて、その子供の本性は、私共が普通に考え得るようなものではないかも 知れない……。 「我は想う」 私共がもし、そのような場面に接したときは、決して見逃すことのないよう、 いたわりの心を抱いて欲しいものだ……。 |
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