徒然想問

呪縛と自由の味覚巡り


△慈善のこと
「或る人問う」
 そのような義務感から出現したのが、「慈善」と云う概念であろう。
 
「我は想う」
 うむ。
 慈善とは、(1)あわれみ、たすけること。(2)貧しい人や不幸な人をいたわり救済
すること(goo 辞書)、のことだね。。
 ヒト的には、慈善家とか、ボランティアなどのことだね。
 
「或る人問う」
 そのように積極的に行動すること − 果敢に宇宙に挑戦することなども含まれる
 − によって、日々の食事を美味しく戴こうと云うことなんだね。
 
「我は想う」
 と云うことは、何もしないヒトの食事は、何時も鬱陶しいと云うことか……?
 
「或る人問う」
 しかして、このような義務感を伴う思想宗教では、積極的に行動するヒトと、消
極的にヒトとでは、食事に関して(満足感に)差別が行われる、と云うことなんだ
ね。
 
「我は想う」
 目に見えない差別 − 観念的な差別か……。
 
「或る人問う」
 慈善とか、ボランティアとかが、死語(廃語とも)にならない限り、差別という
概念が常にまとわりつくんだよ。
 
「我は想う」
 ……
 
「或る人問う」
 ある語 − 例えば「自由」とか、「平等」とか、「慈善」とかが死語にならない
限り、つまり活語(現在用いられている言葉)として重用されている、と云うこと
は(原罪観に由来する義務感を伴う思想宗教においては) − 観念的な差別は、必
須のことなんだ……。
 
「我は想う」
 あまり深入りしないようにしよう……。
 
「或る人問う」
 ……???

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