徒然想問

呪縛と自由の味覚巡り


△神から授かった食べ物とは……
「或る人問う」
@神を唯一絶対神とする世界観を持つ国々 − 主に欧米では、アダム以前の人々は
神の支配下にあるので、食べ物は全て神がもたらしてくれるのであった。
 
「我は想う」
 完全栄養食だね。今なら差し詰め宇宙食と云うことか。
 
「或る人問う」
 アダム以後になると、人々は自由に食べ物をまかなうようにはなったが、それは
「責任」と云う刑を背負ってのことなので、今一美味しいとか、落ち着いたとか、
ゆったりしたとかの気分にはなれない……?
 また、食前食後の感謝の言葉は、神への祈りの中にのみある……?
 
「我は想う」
 ……
 
「或る人問う」
 A多神教を旨とする国々 − わが国などでは、神々はそれぞれ得意分野を主宰
し、人々に対して何時でも十分なる食べ物を提供している。
 人々は自由に、好みに応じて、食べ物を取捨選択して摂取することとなる。神々
に頼るも自由、頼らないも自由と云う世界である。
 
「我は想う」
 例えば、
お米のことなら保食神(など)
お魚のことなら海幸彦神(など)
青果物のことなら山幸彦神(など)
お酒のことなら大物主神(など)
お菓子のことなら田道間守大人
などなど。
 食べ物の取捨選択は任意であるので、心ゆくまで、美味しく食べられる、と云う
構図である。
 
「職業職域守護神」
 
 また、食前食後の感謝の言葉「いただきます」「ごちそうさま」は、神々は勿
論、食べ物の生産や調理に関わってくれた全ての「もの」に対する言葉である。
 
「我は想う」
 うむ。
 
「戴きます考」

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