徒然想問

呪縛と自由の味覚巡り


△「すべきである」と云う義務感
「或る人問う」
 それ故に、原罪観と云う考えが誕生したんだね。
 
「我は想う」
 ………
 
「或る人問う」
 原罪観とは、性悪説と似ているね。
 
「我は想う」
 性悪説とは、「人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によって
のみ可能とする説。孟子の性善説に対立して荀子が首唱(goo 辞書)」と説明され
ている。
 
「或る人問う」
@唯一絶対神が常に「正常 = 正義 = 善」であるとすれば、
Aヒト及びヒトの行動は、いかなる場面においても、絶対的に「異常 = 非正義 
= 偽善(即ち罪)」として認識、あるいは定義される、
と云うことなんだね、
 
「我は想う」
 うむ。
 
「或る人問う」
 原罪観を旨とする思想宗教においては、ヒトはそのこと故に、罪悪感に苦しみ、
悩み、もだえながら、一生を送っているんだね。
 食も性も、総てが「罪」と密接に繋がっている − 罪悪感の中での行為なんだね
……
 
 ヒト及びヒトの行為は、総て「努力して矯正すべきものである」と云う − 「す
べきである=義務(感)」が必然になるんだね。
 
「我は想う」
 うむ。
 
「或る人問う」
 ヒトの行動は、総て「義務(=責任とも、刑罰とも)」を果たすことのためにな
される、……と云う構図なんだね。
 
 なんだか鬱陶しいね……??
 
「我は想う」
 ………

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