徒然想問

呪縛と自由の味覚巡り


△誰のための責任か
「或る人問う」
 責任とは、自分が引き受けて行わなければならない任務。義務……(goo 辞書)
である。
 
「我は想う」
 第一義的にはね。
 
「或る人問う」
 自由と云うことを考えるとき、「自由は神から与えられたもの」であることをを
忘れてはいけないんだね(依然として、神は存在しているから)。
 神から与えられた自由であるが故に、その責任をどのように遂行したかも、神に
しかと報告しなければならない、と云う理屈も生じるんだね。
 
「我は想う」
 ……

「或る人問う」  わが国のように、多神教を旨とし、自力(他力本願でないこと)で物事を処理し ようとする環境に住んでいる場合、自由を行使した責任の所在は、自己にあるんだ ね。   「我は想う」  うむ。   「或る人問う」  つまり、鏡の中の自分の顔を見てみれば、自ずと責任の所在は分かるんだね。   「我は想う」  心身を清浄にしてからね……。

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