△専在的保守派の誕生 「或る人問う」 自助努力の足りなさ、限定される課題、そして思想哲学の流転などの結果、「そ こそこの社会的地位」を得たところの、いわゆる教師や学者、著名人、件の女性な どなどの知識人達は、支えられるべきバックボーン(背骨)の人生哲学 − 「動か ざる指標」「変えてはいけない願い」、そして「在るべき人生観」として、「戦争 放棄」と云う概念へと、その考え方を収斂せざるを得なかったのではないだろう か。 「我は想う」 …… 「或る人問う」 頼るべき、不動の願望は、「戦争放棄と云う言葉そのものである」と、意固地と さえ思われる強固な思想哲学を持つようになった……。 「我は想う」 …… 「或る人問う」 潜在的な願望を、自らの力で顕在化しようと云う勇気に至らず、只管自己の保全 を希求しつつ、意固地なまでに「戦争放棄」を叫ぶ階層、即ち、専在的保守派(仮 称)の誕生であろう。 |
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