△自助努力の体験
「或る人問う」
自助努力とは?
「我は想う」
自助努力とは一般的には、他人の力を借りずに自分の力だけを頼りに努力する
ことである。
「或る人問う」
前項の「世界説得旅行」もそうか。
「我は想う」
もし、そのことを念頭に、思い立って外遊したら、である。
「或る人問う」
ところで、憲法擁護を唱える人達の多くは、経済的に、比較的恵まれている人達
ですよね。
「我は想う」
えっ。
「或る人問う」
例えば、第二次世界大戦の戦中戦後を通じて、
@いやいやながら、なんとなく、又は当然にして軍国主義者達と一緒になって、国
民を鼓舞し、
A敗戦した途端、占領政策とあいまって左傾化し、革新とか革命思想にひた走り、
B今度は、占領政策の右傾化による、いわゆる冷戦 − 対共産主義政策のルツボの
中で翻弄されつつ、革命思想に未練を残しながら、
C国民の懸命な努力などにより、名実ともに日本は世界の経済大国にのし上がり、
他国から羨望視されるまでになった……、
D即ち、共産主義と一線を画してきたことにより、その後の経済的混乱をきたすこ
ともなく、安穏な生活が送れると思っていたら、
E思想的バックボーン(背骨)として憧れてきた仏国の実態は、実は自国民のみ
の、それも既存のキリスト教徒のみを対象とした思想哲学であったことが暴露され
た……。これからは、どんな人生観を持てばいいのだろうか……、
などなど、再三再四にわたり、いわば思想や哲学が、内的にも外的にも、いやおう
なしに、強制的に矯正されてきた、苦い経験の持主が多いんだね。
「我は想う」
そのような人達は、生まれも育ちもよく、優秀な頭脳の持主なんだ。
「或る人問う」
中には、婚期を逸しそうな女性もみられるね。
「我は想う」
えっ……。
「或る人問う」
彼等は先祖からの遺産もあり、経済的に恵まれた環境で育ったんだ。
従って、大方の人々は、がむしゃらに、生活のために働かなくともよかったん
だ。
そんなひ弱な人達、いわば御曹司達が、よく、精神的に堪えることが出来た
ね。
「我は想う」
よく堪え抜いたと想う。
「或る人問う」
だから、「平和憲法は、今更手放せない」とね。
「我は想う」
……
「或る人問う」
経済的に恵まれている、と云うことは、あまり自給自足的な自助努力の体験をさ
れたことがない。
だから、空念仏のように「憲法擁護」「平和憲法」「戦争反対」など(以下「戦
争放棄」と記述する)と唱えていれば、やがてその願望は叶えられると思い込んで
いるだね。
「我は想う」
……
「或る人問う」
もし、その願望が、今の地位を保全した上での願望なら、何をかいわんや、と云
うことなのだろうか。
「戦争放棄」と云う目的達成のためには、例えば「世界説得旅行」と云う汗をか
くことが必要なんだと思う。
「我は想う」
「入」を得ようとすれば、相応の「出」が必然 − 収支均衡と云うことか。
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