△ヒトは裏切りを繰り返す
「或る人問う」
こでまた、男女三人組のことを思い出していただきたい。C子を巡っての男二人
の争いのことである。
宗教的にその信者間での状況を推測すると、
キリスト教徒は、男二人は互いに神の意向に媚し(贖罪のために)、いずれか
が勝者になるまで戦おうとするのか。
イスラム教徒は、男二人は、神の前に女を共有しようとするのか。
仏教徒は、極楽浄土を志向して、この三人は性をなくして共生するのか。
道教では、桃源郷において、三人はそれぞれ顔を合わせない程度の距離をおい
て、生きてゆくのか。
儒教では、女を得るために男二人は占いをするのか。
神道では、男二人は自らの心の清濁にしたがって、相手に女を譲るのか……
??
「我は想う」
ヒト又は国とは、成長しようとすればするほど、相手と競い争うことになろう。
これは、生物として生存し、永続することには欠かせない宿命である。そして雌
雄は別々の性として存在する。
人間も生物である。同じである。
「或る人問う」
また思い出す、争うことは「兄弟ニ友ニ」の反するのか、裏切ることは「兄弟ニ
友ニ」に反するのか。
「我は想う」
それは、何故わが国では、人生儀礼としての営みが続いていることで解決されよ
う。
「或る人問う」
ヒトは、人生儀礼の度毎に裏切りを繰り返すのか……
「我は想う」
……
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