徒然想問

強者は必ず勝つのか


△今更、「裏切り」など出来ない
「或る人問う」
 そんな中で、敗戦、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による占領政策、新憲法の
発布などにより、わが国の国情世情民情は大きく変わった。まるで革命のように大
きく変わった。この裏切りは、決定的であった。
 このような経験を体した先生達は、これからのわが国は、このようなことのな
い、裏切りのない、変化のない、恒久的な教育施策に徹しなければならないと誓っ
たことであろう。
 優等生として自認してきた人生の目標を、先生達は今度は、これからは変えるこ
となどすべきでないと考えたのであろう。
 
「我は想う」
 かくして、新たに構築された自己の生きがいであるところの「戦争放棄」の理念
は、これは絶対に変えることは出来ない、としたのである……
 
「或る人問う」
 しかし、戦争放棄は、一国だけでは、到底不可能であることは知っている。
 ただ、先生達の担う専らの役割は、教室での授業であるように、あくまでも身内
だけの、国内だけでの主張だけに過ぎないものであった。
 例えば、仏国などで主張されるキリスト教(欧米での理論は、すべからくキリス
ト教の理念に立脚している)下での仮説や主張の感化を受け、それがGHQの方針と
も一致して、敗戦国の贖罪の第一は、武力を放棄することにあった、共産主義や社
会主義の実現にあった、またこのような理論を信ずることにあった……
 
「我は想う」
 ……
 
「或る人問う」
 しかしである。最近仏国で明るみになったように、世界の思想界に先導(リー
ド)していると自認している仏国の思想は、自国民、即ちキリスト教を理解する人
達だけのものであったのである。先生達の信じてきた、平等や平和の思想体系は、
実は自国民だけの、限定された、閉鎖的なものであったと考えられよう。
 
「我は想う」
 ……
 
「或る人問う」
 しかし、わが国の先生達はそのことを十分に知っているが、今更信念(欧米思
想)を改めることが許されない、改める勇気を持ち合わせないと云うことである。
何故なら、信念を改めると云うことは、教室での授業の指針を変えることになり、
それは自らへの、また先輩や後輩への「裏切り」になるからである。
 
「我は想う」
 自ら鬱憤を閉ざしていると云うことか……

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