△「兄弟ニ友ニ」について
「或る人問う」
裏切りを戒める行為として、「教育勅語」に、
「………
爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ
………」
とある。
私共は決して、この教えを犯してはならないのである。この教えを犯す者は、良
くないことであると認識している。
「我は想う」
この中で、例えば「兄弟(けいてい)ニ友ニ」とは、「兄弟・姉妹は互いに力を
合わせて助け合い」と云うことで、つまりこれを守らないと、それは不道徳者とし
て厳しく問われるのである。したがって、この道徳律は、健在である。
「或る人問う」
「兄弟は他人の始まり」と云う諺(ことわざ)もある。この意味は「血を分けた
兄弟も、妻や子を持つとそれらに愛情が移って、兄弟同士の情が段々薄らいでい
く」とされる。
「我は想う」
「兄弟ニ友ニ」の観念からすると、一方の兄弟が結婚して一家を持つことは、
「兄弟は他人の始まり」であり、他方の兄弟側からみれば、裏切り行為と捉えられ
る。
しかし、私共はそれぞれの人生を送ってゆく過程においては、絶えず「裏切り」
を積み重ねて成長してゆくのである。
「或る人問う」
子が親の業績よりも勝れたいと思えば、そこには必ず葛藤 = 裏切りを伴うこと
であろう。
夫婦間でも、友人間でも、互いに競争相手として、より良い関係に発展させよう
と心掛ければ心掛けるほど、そこには摩擦 = 裏切りが生じるのである、と云うこ
とか……
「我は想う」
……
「教育勅語」
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