△判官びいき
「或る人問う」
判官贔屓(ほうがんびいき)とは、源義経が兄頼朝に滅ぼされたことに人々が同
情したことから、弱者や薄幸の者に同情し味方すること、また、その気持ちを云
う。考えるに、この場合、果たして義経は自らを「被害者」と認識していたであろ
うか。
「我は想う」
後の世になり、人々は、敗者のことをすべからく「被害者」と認め合い、判官び
いきの想いを以って、事案の処理に当たろうとするようになった。
したがって、弱者や敗者や少数派は、自らを「被害者振る」ことにより、強者や
勝者や多数派たちに立ち向かうことになったようだね。
「或る人問う」
蝦夷などと呼称される縄文人(元々北日本や南日本に住んでいた人々)は、歴史
的に大和朝廷などの中央政府に支配されてきた歴史的事実がある。
これらの地方においては、日常の営みにおいても、自らは積極的(勝者として
の)発言をせず、消極的(敗者としての)意見を述べる傾向にあるが……
「我は想う」
その傾向にある。
例えば、
「私のお願いを聞かないと、お前にバヂ(罰)があたるよ(私は弱者だから、お前
はこの要求を拒絶することは許されないのだ)」
「先輩が買え買えと言うので、買わせられたのだ(実は、欲しくて買おうとしてい
たのだ)」
「お前が出席するようにと言わなかったので、欠席したのだ(実は、当初から欠
席することにしていたのだ)」
と……
「或る人問う」
このことで思い出すのは、俳優勝新太郎の演じた座頭市の映画である。盲目故に
弱者として君臨?する座頭市は、多少の悪をしても人々に容認される。それを良い
ことにして、やがて大悪人に成長するのであった。
「我は想う」
そうだったね。
「或る人問う」
また思い出すのは、自らを盲目と自認するある宗教家が起こした毒薬殺人であ
る。ここでも、その宗教家は、自らを弱者とすることで、世の判官贔屓感情をくす
ぐろうとしたのであろうが……
更にここで指摘したいのは、「釈迦の名を語る」(釈迦がこのように仰ったと云
うこと)ことで、わが国の人々のほとんどは、これに対して寛容の態度を示すこと
になる。
「我は想う」
わが国の殆どは、一応、仏教徒であるので、釈尊の教えには絶対的に信頼してい
るね。
「或る人問う」
例えば「この仮説 = 理論は、究極的には釈尊に通じるのだ」と主張すれば、そ
の仮説は、世の中に公認され、認知される。
「我は想う」
わが国には現在、釈迦(仏陀)の名を語る宗教宗派は無数に存在する、と云うこ
とだね。
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