徒然想問

ジェンダー・フリーと補うこと


△補い合うことと平和
「或る人問う」
 種の永続に関しては、同一の種の中に、必然的に強者と弱者が存在する。これ
は、互いに競い合い、強者が勝つことによって、よりよい子孫を残したい、と云う
生物のもって生まれた本質である。であるから、ヒトであっても、同一の性のヒト
が複数出会えば、その場に火花が散るのは、必須のことである、争いの始まりであ
る。
 
 とすると、弱者の立場はないではないか。
 
「我は想う」
 強者と弱者とが織り成す二元論を、三すくみを応用して構築された「三元論」哲
学で、これを解決し、まとめ上げようとすることだ。
 
「或る人問う」
 と云うことは?
 
「我は想う」
 例えば土俵で、大人と幼児と競い合うとき、勝敗は最初から分っている。このよ
うなときは、大人は競い合おうとしない。
 
「或る人問う」
 つまり、幼児の方が勝つことになるね。
 でも、両者が拮抗しているときは、真剣になるね。
 
「我は想う」
 そのとき両者は競い合っても、深追いをしないことだね、
 
「或る人問う」
 よく、戦争などで、相手を壊滅させようとすることがある。ところがこのとき、
勝者の心の中に、相手の遺恨が印されることとなる。「何時か、きっと復讐され
る」とな。
 
 この場合の勝者の心理を表したのが、例えば、わが国の古典芸能にみられる「怨
霊思想」と云うことか。
 
「我は想う」
 ヒトの文化が進めば進むほど、知能の程度が深まれば深まるほど、怨霊思想のこ
とが現実のものとなると考えられよう。
 
「或る人問う」
 したがって、弱者をないがしろにしたり、敗者を深追いをしたりはしないことだ
ね。
 この「いたわりの心」と云うか、「優しい心」と云うことが、二元論に付加する
第三の補完要件と云うことだね。
 
 しかし、それで勝者の心は鎮まるとしても、弱者敗者の心理は?
 
「我は想う」
 勝者の善意に報いるものとして、弱者敗者側の考えられることは、「この三元論
を体して、その事実を弘く知らしめること」にあろう。しかして三元論哲学は、更
に充実され、構築編成されてゆく。ゲーテの名言[人をほめればその人と対等にな
れる]

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