徒然想問

ジェンダー・フリーと補うこと


△唯一神と神々と
「或る人問う」
 唯一神と云っても、宗教宗派によって、神の種類や性格がそれぞれ異なるね。
 
「我は想う」
 所詮「聖書」は、唯一神の預言に基いて書かれたと云われているが、人が作文し
たものである。預言された人の知識や能力、理解の程度の範囲内でしか、作文でき
ないのは自明である。
 
 また、聖書の書かれた年代、書かれた場所、書かれた人、書かれた言語と翻訳さ
れた文章など、当然にして所々に齟齬が生じるのも自明である。
 
 聖書の意義を体して唯一の神を信じようとするにあたっても、自分の置かれてい
る環境、年代、場所などが異なるごとに、それらの条件にうまく適合した教義や文
言を取捨選択して採用することになろう。
 そこに、異なった宗教宗派が生まれるのである。
 仏教の場合も、同様である。
 
「或る人問う」
 「唯一神」とは、その宗教宗派にのみ認識されるもので、聖書の世界全体を見て
みると、複数の神々として捉えることが出来るね。
 
「我は想う」
 そのとおり。
 
「或る人問う」
 仏教が発生したインドにも、沢山の神々があり、それらの神々は必要により、仏
たちを守護しているとされている。と云うことは、仏も神も同じような存在で、押
しなべて「神々」と見なすことも可能だね。
 
「我は想う」
 仏教徒は、仏と神とは別物であると主張したいようであるが、本源は同じでしょ
う。
 
「或る人問う」
 わが国は、天照大御神を中心に据えた、八百万の神々の集う国である。
 
「我は想う」
 そのとおりである。
 
「或る人問う」
  すると、この現実世界は、それぞれ個性の異なった神々の存在する世界と見な
すことが出来るね。
 
「我は想う」
 そのとおり。

「或る人問う」  それらを統括的に取り扱う思想として、「三元論」哲学が生まれたということだ ね。   「我は想う」  そのとおり。   「或る人問う」  世界の各国、及び各国民を平和的に、幸福かつ有意義なる人生を保証し、統括す る哲学が、「三元論」と云うことだね。   「我は想う」  そのとおり。   「或る人問う」  三元論での神々の扱いは?   「我は想う」  ここで、神々を意識的に無理矢理にある特定の唯一神へ統合することは、考える 必要はないであろう。   「或る人問う」  各宗教宗派は、それぞれ独自の信仰に基く神をいただくこととし、他の宗教宗派 を脅かしてはならないと云うことだね。    それらのことを統括するのがの「三元論」哲学だね。   「我は想う」  「三元論」哲学は、個々の神々の存在を認めあい、人々の幸福かつ有意義なる人 生を保証することとし、自然界の変化などにも対応しつつ、時の流れに応じて構築 し、編成をし続けることになろう。

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