徒然想問

ジェンダー・フリーと補うこと


△思想を実現する
「或る人問う」
 哲学は、人々をして幸福で充実した生活を営むための指針〜思想と思うが、現代
の思想界をリードしているのは、フランスと云われるが………
 
「或る人問う」
 一応、そのように聞いている。
 
「或る人問う」
 自然科学が発達してきている昨今、従来、よりどころとしてきた「キリスト教」
に基く考え方が、ところどころで不具合が生じてきたと云われるが………
 
「我は想う」
 詳しいことは、分らない。
 
「或る人問う」
 フランスを含む欧米諸国の思想は、唯一神とその信者たるキリスト教徒(人民)
との二者を機軸に展開されているといわれているが………
 
「我は想う」
 哲学とか、思想とかは、志向すべき宗教を抜きにしては論じられない。

「或る人問う」  聖書は、訪れる死の世界、すなわち大地が砂漠化してゆく過程において、一族の 興亡を賭した旅に、その起源を窺うことが出来る。  大地が砂漠化したと云うことは、本来、大地に恵みをもたらすべき太陽(太陽神) が人民を裏切ったこととなる。そこで聖書の民は、太陽神を見限り、太陽神よりも なお気高い、なお強力なるものとして、唯一神の存在を信じてきたのである。真に、 すさまじい宗教と云えるのではないか。  唯一神は、人民の生死を掌る、絶対的存在であるではないか。   「我は想う」  生か死かを賭けると云うことは、言語に絶するものがある。   「或る人問う」  その意味において、唯一神に捧げるべき物には、人民は何をおいても、競って尽 力してきた。  捧げ物が、従来のような太陽の恵みによる自然界の物では、唯一神は絶対に納得 しない。捧げ物は、自然界を超越したものでなければならない。あくまでも造物主 たる唯一神によって造られた世界を志向する、非自然的なもの、還元すれば悉く人 工的な品々であらねばならないのであり、自然界と一線を画した、自然界とは全く かけ離れた物でなければならない。    しかして、前述の如く、テーブルのフラワー・アレンジメントは、はっきりと人間 が手を加えたものとして飾られ、そして一斉に天に向って媚びている(ように見え る)。フラワー・アレンジメントは、自然さを一切排除した飾り方である。一方わが 国などで好まれる下を向く花は、唯一神にも、人民にも見向きされない。    仮説の構築も勿論然りである。人民は競って仮説を構築することに励む。他より も斬新で、自然を超越するような事柄に人民が挑み、また推奨されてきた。  しかしてその結果、今日に至るまで、欧米諸国による発明発見は他の群を抜き、 経済的にも文化的にも世界をリードしているのである。   「我は想う」  そのとおりであろう。   「或る人問う」  唯一神は、嫉妬深いと云われている。    地中海辺りではその昔、ときどき旱魃になるので、気候を掌る天の神は「気まぐ れな神だ」と、人々に揶揄されるのであった。そのような気まぐれな神概念が、聖 書の民の現れる時代にも、そのまま引き継がれていたものと考えられる。  さて、気まぐれな神が唯一神に昇格すると、今度は人民をこよなく愛し、見守ろ うとした。ところが人民は太陽神にも未練があったので、唯一神は嫉妬したと云 う。そこで唯一神は、自分のみを崇拝するようにと、人民に対して誓わせた、と伝 えられているが………   「我は想う」  ………

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