徒然想問

ジェンダー・フリーと補うこと


△補うこと
「或る人問う」
 ジェンダー・フリーのような主義主張は、キリスト教圏、つまり欧米諸国において
主として興っているが、そのことと「補完」とに、どのような関係があると云うの
か。
 
「我は想う」
 そのことを考えようではないか。

「或る人問う」  聖書の世界では、造物主たる「唯一神」と、それを信じて崇める「人民」の二者 しかこの世に存在しないとしている。唯一神を信じない者は、ここでは人民でない と云うことになるが………  唯一神とそれを信ずる人民との二者間(二元論)で、総てのものが成就すると云 うのか。   「我は想う」  そのとおり。   「或る人問う」  欧米諸国では、嫉妬深い唯一神の求めに、人民はこぞって捧げ物を競う構図が、 何の疑いもなく、普遍的に今日に伝承され定着されてきていると思われる節がある が………  つまり、人民がそれぞれの捧げ物としての仮説のうち、唯一神が最も喜ばれ好ま れる仮説が採用され、それが真っ当な説として、世の中に君臨され得てきたと云う 歴史を持っている、と云うのか。キリスト教の教義の対する考え方が、大分修正さ れてきた今日においても、まだその伝統が息づいていると云うのか。   「我は想う」  テーブルの上に飾られたフラワー・アレンジメントをよく観察してご覧………   「或る人問う」  えっ!………  机上のいけ花も、同じ色で統一された民家の屋根も、教会の塔も、全て天に向っ ている。まるで、天上の唯一神を志向しているようだね。  そうか、これが欧米諸国の人民における思想の基底なのだ………、これが今に引 き継がれているんだな………    ところで、唯一神と人民との二者間に、第三の要件である「補完」が存するのか。   「我は想う」  神の求めに応じて、人民が「競って仮説を唱えて提案すること」、これが補完要 件であると考えられよう。   「或る人問う」  しかし今日、唯一神の威力が低下しつつあると云うことが流布されているが……  とすれば、唯一神に捧げ物をする理由も希薄となるが………   「我は想う」  まあ、そのように思われるのは本意でないであろう。    ここで指摘したいのは、唯一神と人民との関係において、補完要件が成功してそ の仮説が認められんとすれば、その仮説の提案者は、人々に対しては補完要件を省 略する形で仮説を説くことにあろう。   「或る人問う」  つまり、この世には、唯一神と人民との二者しか存在せず、したがってかつまた 人民は、唯一神の許におしなべて存在している。この仮説を人々に説くに、かつて 唯一神に媚びたように、人々にはへつらう必要はないと云う普遍的な先入観を持っ ている、と云うことか。この先入観念は、欧米諸国では今でも、何の疑いもなく受 け入れられているということだね。   「我は想う」  そのとおりと推察出来る。  人間は元来、各々「個」としての尊厳をもって存在している。よって、仮説の提 案者は、十分に意を用いて人々を説く必要があろう。   「或る人問う」  欧米諸国で公認(オーソライズ)され、あるいは台頭してきた新説奇説をわが国 に導入するには、補完要件の重要性を認識していなければならないと云うことか。   「我は想う」  そのとおり。   「或る人問う」  つまり、特にわが国において、欧米諸国の諸説を紹介するに当たり、その紹介者 は、唯一神と人民との二者間のいきさつを意識的に省いたり、個々人の尊厳を無視 したりしていると云うのか。   「我は想う」  そのように受け取っている。   「或る人問う」  欧米諸国で生まれた諸説は、なんでもかんでも導入すればよい、と云うことには ならないと………   「我は想う」  ………

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