徒然想問

ジェンダー・フリーと補うこと


△補うこととは
「或る人問う」
 「補うこと(補完)」とは、入れ歯とか、義足、歩行を助ける杖、また破れたと
ころをつくろうことなのか?
 
「我は想う」
 そのとおり。
 食事のときの箸とか指もその役目を果し、更には人と人との関係では真実の会
話、男と女とでは五感及び第六感による気分なども、目的とする事柄の成就には不
可欠の要件と考え得る。
 
 本稿では、この要件(第三の要件)のことを、便宜上「補完(補完要件とも)」
と呼ぶこととする。
 
「或る人問う」
 つまり、仮説を主張する者と、それの受け入れ対象たる者との、いわゆる二者間
以外に、第三の要因として「補完要件」が存すると云うのか。
 
「我は想う」
 そのとおり。
 論者は恭倹をもって聴く者に仮説の趣意を説くことにあるが、そのとき真実〜あ
りのままを述べなければならないと云うことになろう。

「或る人問う」  このことと、ジェンダー・フリーとどんな関係にあるのか。   「我は想う」  これから、追ってそのことを説明してみたい。
「或る人問う」  さて、何故、ジェンダー・フリーのような主張がなされるようになったのか。   「我は想う」  ジェンダー・フリーのような主張がなされるのは、世の中が裕に、そして穏やかな 流れで推移しているからであろう。   「或る人問う」  例えば、普通、わが国における組織(会社とか、事務所とか、事業所とか)にお いて、従業員はしばしば自己の存在感を示したいと云うか、責任感を誇示したいと 云うか、そのために、何かと無駄と思われるような「仕事を考え出す」「仕事を増 やす」傾向にある。その結果組織が膨張してしまい、仕舞いには倒壊してしまうこ ととなる。  つきつめれば、通常、自給自足のような生活を営んでいて、アクセク働いている 限りにおいては、ジェンダー・フリーのような考えや、またこの従業員のような考え には、到底思いも及ばない、と云うことか。   「我は想う」  そのとおりであろう。  時の流れとともに、自然界は止むことなく変遷し、生物は進化してゆく。したが って、従来「好し」としてきた事案であっても、反省しつつ、見直してゆく必要が あろう。  そのことの提案の一例として、ジェンダーフリー説が登場したが、あまりに身勝 手な仮説故に、たまたま俎上に上ったのである。   「或る人問う」  「たまたま」とは、どう云うことか。   「我は想う」  「たまたま」とは、過去に似たような仮説がしばしば謳われ、世の中を混乱せし めたらかである。   「或る人問う」  外ヅラは平和平等桃源郷、内面は実は強制強権差別貧困と云うようなことか。   「我は想う」  まあそうである。   「或る人問う」  そのように二重人格的な理論を、人に押し付けるような世の中にはなりたくない と云うことか。   「我は想う」  君もそのように思うのか。

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