10 三種神器
 
                         参考:堀書店発行「神道辞典」
 
〈三種神器サンシュノシンキ〉
 
 三種神器(三種神宝とも)とは、皇孫邇邇芸命が天照大御神と高御産霊神(高木神と
も)から中国ナカツクニの統治の勅命ミコトを承けて高天原タカマノハラを出発するに当たり、大御神
の皇孫に授けられた八咫瓊勾玉ヤサカニノマガタマ(ヤサカノマガタマとも)・八咫鏡ヤタノカガミ・天
叢雲剣アメノムラクモノツルギ(日本武尊は、東国平定の折、神宮に奉仕の倭姫命から受け、賊の
放火した草を薙いで難を免れたので草薙剣クサナギノツルギとも申す)の三つの神宝を指す。
 
 神器は、皇位の御璽ミシルシとして歴代の天皇が捧持されてきた。即ち「此の鏡は専ら我
が御魂として、我が前を拝くがごとく、いつき奉れ」と大御神の仰せのままに、皇孫以
来歴代の天皇は、同床共殿して奉じていた。
 第十代崇神天皇に至り、神器との同床共殿を畏むあまり、皇女豊鍬入姫トヨスキイリヒメを天
皇の代理と定めて、剣鏡は殿内から大和笠縫邑カサヌヒムラに移して奉祀(これが斎宮イツキノミヤ
の始まり)した。
 垂仁天皇二十五年三月に倭姫命が代わって斎宮となり、大御神の鎮まる聖地を求め、
笠縫邑を出て、菟田郡筱幡などを巡幸し、最後に伊勢国五十鈴川の上に磯宮を設けて奉
斎したとされる。
 
 律令時代までは、新帝即位の日に忌部は神璽の鏡・剣を天皇に捧呈した。
 平安時代中葉以降になると、剣のみ奉り、これを剣璽渡御と云う。
 神宮(伊勢)の創建以後は、別の神鏡を宮中に奉安、内侍ナイシ(令制の内侍司の女官)
が奉仕したので別名を内侍所と云う。
 平安時代には温明殿ウンメイデン(綾綺殿の東、宣陽門の西)に、鎌倉時代以後は春興殿
シュンコウデン(紫宸殿の東南、日華門の南)に、明治に至って皇居内に賢所を営み奉斎した。
 
 神器の神道的意味は、次の点にある。
 天照大御神の岩戸隠れのとき、諸神は集い謀って、天香具山の榊サカキを運び出し、上枝
ホツエに勾玉マガタマ、中枝ナカツエに八咫鏡、下枝シタツエに青和幣アヲニギテ・白和幣(麻アサの麻ヌサと木
綿ユフの麻ヌサ)を取り懸けて、大御神の出現を祈った。
 また景行天皇十二年周防国(山口県)にお出掛けの際、彼の地の女酋の一人である神
夏磯姫カムナツソヒメは、榊の上枝に剣、中枝に鏡、下枝に八尺ヤサカノ瓊マガタマを懸けて天皇をお
迎えした。榊はいわば寄り来る神の座で、鏡などを飾ることにより、「神」の顕在を示
す(貴人はこれらを以って身体に着け、権威の象徴シンボルとする)とされる。鏡などを飾
った榊は、「神」自体なのである。
 
 天照大御神から神器を受けた邇邇芸命は、大御神の神意を奉体する、と考えられる以
上、大御神と一体化してしまわれた、邇邇芸命は天照大御神そのものに在す、と理解す
ることが信仰上は妥当である。
 歴代の天皇もまた、当然天照大御神それ自体であり、践祚大嘗祭は秘儀であるが、こ
の秘儀は新帝と大御神との一体化の密儀である、と先人は既に説いている。
参照 「三大神勅」
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