『日本人の自然観』
 
 日本人の日常生活
 
 まず衣食住の中でもいちばんだいじな食物のことから考えてみよう。
 太古の先住民族や渡来民族は多く魚貝や鳥獣の肉を常食としていたかもしれない。い
つの時代にか南洋またはシナからいろいろな農法が伝わり、一方ではまた肉食を忌む仏
教の伝播(でんぱ)とともに菜食が発達し、いつとなく米穀が主食物となったのではな
いかというのはだれにも想像されることである。しかしそうした農業がわが国の風土に
そのまま適していたか、少なくも次第に順応しつつ発達しうるものであったということ
がさらに根本的な理由であることを忘れてはならない。
「さかな」の「な」は菜でもあり魚でもある。副食物は主として魚貝と野菜である。こ
れはこの二つのものの種類と数量の豊富なことから来る自然の結果であろう。またそれ
らのものの比較的新鮮なものが手に入りやすいこと、あるいは手に入りやすいような所
に主要な人口が分布されたこと、その事実の結果が食物の調理法に特殊な影響を及ぼし
ているかと思われる。よけいな調味で本来の味を掩蔽(えんぺい)するような無用の手
数をかけないで、その新鮮な材料本来の美味を、それに含まれた貴重なビタミンととも
に、そこなわれない自然のままで摂取するほうがいちばん快適有効であることを知って
いるのである。
 中央アジアの旅行中シナの大官からごちそうになったある西洋人の紀行中の記事に、
数十種を算する献立のどれもこれもみんな一様な黴(かび)のにおいで統括されていた
、といったようなことを書いている。
 もう一つ日本人の常食に現われた特性と思われるのは、食物の季節性という点に関し
てであろう。俳諧歳時記(はいかいさいじき)を繰ってみてもわかるように季節に応ず
る食用の野菜魚貝の年週期的循環がそれだけでも日本人の日常生活を多彩にしている。
年じゅう同じように貯蔵した馬鈴薯(ばれいしょ)や玉ねぎをかじり、干物塩物や、季
節にかまわず豚や牛ばかり食っている西洋人やシナ人、あるいはほとんど年じゅう同じ
ような果実を食っている熱帯の住民と、「はしり」を喜び「しゅん」を貴(たっと)ぶ
日本人とはこうした点でもかなりちがった日常生活の内容をもっている。このちがいは
決してそれだけでは済まない種類のちがいである。
 衣服についてもいろいろなことが考えられる。菜食が発達したとほぼ同様な理由から
植物性の麻布綿布が主要な資料になり、毛皮や毛織りが輸入品になった。綿布麻布が日
本の気候に適していることもやはり事実であろうと思われる。養蚕が輸入されそれがち
ょうどよく風土に適したために、後には絹布が輸出品になったのである。
 衣服の様式は少なからずシナの影響を受けながらもやはり固有の気候風土とそれに準
ずる生活様式に支配されて固有の発達と分化を遂げて来た。近代では洋服が普及された
が、固有な和服が跡を絶つ日はちょっと考えられない。たとえば冬湿夏乾の西欧に発達
した洋服が、反対に冬乾夏湿の日本の気候においても和服に比べて、その生理的効果が
すぐれているかどうかは科学的研究を経た上でなければにわかに決定することができな
い。しかし、日本へ来ている西洋人が夏は好んで浴衣(ゆかた)を着たり、ワイシャツ
一つで軽井沢(かるいざわ)の町を歩いたりすることだけを考えても、和服が決して不
合理なものばかりでないということの証拠がほかにもいろいろ捜せば見つかりそうに思
われる。しかしおかしい事には日本の学者でまだ日本服の気候学的物理的生理的の意義
を充分詳細に研究し尽くした人のあることを聞かないようである。これは私の寡聞のせ
いばかりではないらしい。そういう事を研究することを喜ばないような日本現時の不思
議な学風がそういう研究の出現を阻止しているのではないかと疑われる。
 余談ではあるが、先日田舎(いなか)で農夫の着ている簔(みの)を見て、その機構
の巧妙と性能の優秀なことに今さらに感心した。これも元はシナあたりから伝来したも
のかもしれないが、日本の風土に適合したために土着したものであろう。空気の流通が
よくてしかも雨やあらしの侵入を防ぐという点では、バーベリーのレーンコートよりも
ずっとすぐれているのではないかという気がする。あれも天然の設計に成る鳥獣の羽毛
の機構を学んで得たインジェニュイティーであろうと想像される。それが今日ではほと
んど博物館的存在になってしまった。
 日本の家屋が木造を主として発達した第一の理由はもちろん至るところに繁茂した良
材の得やすいためであろう、そうして頻繁(ひんぱん)な地震や台風の襲来に耐えるた
めに平家造りか、せいぜい二階建てが限度となったものであろう。五重の塔のごときは
特例であるが、あれの建築に示された古人の工学的才能は現代学者の驚嘆するところで
ある。
 床下の通風をよくして土台の腐朽を防ぐのは温湿の気候に絶対必要で、これを無視し
て造った文化住宅は数年で根太(ねだ)が腐るのに、田舎(いなか)の旧家には百年の
家が平気で立っている。ひさしと縁側を設けて日射と雨雪を遠ざけたりしているのでも
日本の気候に適応した巧妙な設計である。西洋人は東洋暖地へ来てやっとバンガローの
ベランダ造りを思いついたようである。
 障子というものがまた存外巧妙な発明である。光線に対しては乳色ガラスのランプシ
ェードのように光を弱めずに拡散する効果があり、風に対してもその力を弱めてしかも
適宜な空気の流通を調節する効果をもっている。
 日本の家は南洋風で夏向きにできているから日本人は南洋から来たのだという説を立
てた西洋人がいた。原始的にはあるいは南洋に系統を引いていないとも限らないであろ
うが、しかしたとえそうであっても現時の日本家屋は日本の気候に適合するように進化
し、また日本の各地方でそれぞれの気候的特徴に応じて多少ずつは分化した発達をも遂
げて来ている。屋根の勾配(こうばい)やひさしの深さなどでも南国と北国とではいく
らかそれぞれに固有な特徴が見られるように思われる。
 近来は鉄筋コンクリートの住宅も次第にふえるようである。これは地震や台風や火事
に対しては申しぶんのない抵抗力をもっているのであるが、しかし一つ困ることはあの
厚い壁が熱の伝導をおそくするためにだいたいにおいて夏の初半は屋内の湿度が高く冬
の半分は乾燥がはげしいという結果になる。西欧諸国のように夏が乾期で冬が湿期に相
当する地方だとちょうどいいわけであるが、日本はちょうど反対で夏はたださえ多い湿
気が室内に入り込んで冷却し相対湿度を高めたがっているのであるから、屋内の壁の冷
え方がひどければひどいほど飽和がひどくなってコンクリート壁は一種の蒸留器の役目
をつとめるようなことになりやすい。冬はまさにその反対に屋内の湿気は外へ根こそぎ
絞り取られる勘定である。
 日本では、土壁の外側に羽目板を張ったくらいが防寒防暑と湿度調節とを両立させる
という点から見てもほぼ適度な妥協点をねらったものではないかという気がする。
 台湾(たいわん)のある地方では鉄筋コンクリート造りの鉄筋がすっかり腐蝕(ふし
ょく)して始末に困っているという話である。内地でもいつかはこの種の建築物の保存
期限が切れるであろうが、そうした時の始末が取り越し苦労の種にはなりうるであろう
。コンクリート造りといえども長い将来の間にまだ幾多の風土的な試練を経た上で、は
じめてこの国土に根をおろすことになるであろう。試験はこれからである。
 住居に付属した庭園がまた日本に特有なものであって日本人の自然観の特徴を説明す
るに格好な事例としてしばしば引き合いに出るものである。西洋人は自然を勝手に手製
の鋳型にはめて幾何学的な庭を造って喜んでいるのが多いのに、日本人はなるべく山水
の自然をそこなうことなしに住居のそばに誘致し自分はその自然の中にいだかれ、その
自然と同化した気持ちになることを楽しみとするのである。
 シナの庭園も本来は自然にかたどったものではあろうが、むやみに奇岩怪石を積み並
べた貝細工の化け物のようなシナふうの庭は、多くの純日本趣味の日本人の目には自然
に対する変態心理者の暴行としか見えないであろう。
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