12 国意考
 
                       参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
 
〈国意考〉
 こゝの国は、天地の心のまにまに治めたまひて、さるちひさき理りめきたることのな
きまゝ、俄かにげにと覚ることどもの渡りつれば、まことなりとおもふ、
むかし人のなほきより伝へひろめて侍に、いにしへよりあまたの御代々々、やゝさかえ
まし給ふを、此儒のことわたりつるほどに成て、天武の御時、大なる乱出来て、夫より
ならの宮のうちも、衣冠調度など唐めきて、万うはべのみみやびかになりつゝ、よこし
まの心ども多くなりぬ、
凡儒は人の心のさかしく成行ば、君をばあがむるやうにて、尊きに過さしめて、天が下
は臣の心になりつ、
夫よりのち終にかたじけなくも、すべらぎを島へはふらしたることと成ぬ、
是みなかのからことのわたりてよりなすことなり、
或人は、仏のことをわろしといへど、ひとの心のおろかになり行なれば、君は天が下の
人のおろかにならねばさかえたまはぬものにて侍り、
さらば仏のことは、大なるわざはひは侍らぬなり、
 
△参考
〈国意考弁妄 序〉
 世の教たる、神儒仏の三のみ、天地更に余道ある事なし、有に似たるは皆邪岐旁径に
して、趣向すべからざるものなり、
近世一種の国学者流あり、儒を非り、聖を罵り、仏を罔す、特に神道を弁解し、昆弟叔
姪の乱婚を以、皇国の道とするに至る、誣妄狂濫、誰か是を知らざらん、
 
加茂の真淵実に之が兇魁たり、
次て本居宣長、黠才を自負し、古言に通暁すと称し、虚名一時に躁しといへども、真淵
が旧習穴(穴冠+果)窟を脱出すること能はす、たゞその尾に附て喋々たるのみ、
殊に旧事紀日本紀の尊信すべきを知らずして、古事記の偽妄を弁ずること能はず、故に
根本既に失して、枝葉観るべきなし、
宣長青藍の誉あれども、その著はす所の直毘霊、是非を変じ、黒白を易ふ、
その言に云く、天は死物にして心なく、天命と云は聖人の偽なり、
又異母兄弟姉妹叔姪婚媾するも、皇神の定なれば妨なしと云に至る、旁若無人、議する
に足ものなし、
 
想に宣長、纔に儒書の小端を疎解し、聖経の宏遠微妙は、夢にも見ざる故に、この妄誕
を以て、世を誣ひ自欺く、向に市川某、万我比礼を作て、その非を斥す、
宣長も亦葛花を著て答難す、其言所、聖人を貶するに賊を以てし、教典を毒酒に比す、
その悖逆剛愎、先書より甚し、
然を世の癡漢是に党するものありて、囂たること殆三十年、その間鴻学碩儒なきにあら
ず、然ども皆黙置して論破せず、論破せざる意を勘るに、二の故あり、
近世大家と自称するもの、凡国学者を蔑視すること小児の如くす、故に小児に対して難
論せば、世の笑を取の為シワザなりとして愧てせざるあり、是傲心より論破せざるの一な
り、
又小才寡聞にして、持論すること能はざるは、彼邪党の一二、疾べきありといへども、
逡巡恐悚して、言を発すること能はざるあり、
是畏心より論破せざるの二なり(中略)、
 
宣長が妄論は、真淵が国意考に原モトヅク其書固より老荘の糟粕にして、歯牙に掛るに足ず
といへども、真淵は宣長の師として、我より一種国学の祖となる故に世人は或は是を口
実とするものあり、是尤異端の根底深くして、一朝一夕の故にあらず、是即漸靡より世
教に害あらんとするの務(務の力の代わりに虫)賊、是より甚きはなし、故を以て、大
人(沼田城長)今此弁妄の作あり(中略)
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