03 荷田春満
参考:堀書店発行「神道辞典」ほか
〈荷田春満カダノアズママロ〉(寛文九〜元文七・1669〜1736)
江戸時代の国学者、復古神道家である。国学の祖として四大人の一人に算えられる。
本性は荷田、氏は羽倉と云い、通称を斎宮と呼び、初の名は信盛、後春満(東麻呂と
も書いた)と改めた。
京都伏見の稲荷神社の祠官荷田信詮の嫡子に生まれたが、その家督は弟の信名に譲り、
自らは江戸に出て古学を唱え、古道の大義、つまり古神道の精神の解明に努めた。
『創学校啓』(漢文)と云う啓文を草し、養子在満を江戸に下向せしめて国学校創業
のことを幕府に上申せしめたが、不幸に事半ばにして春満は病没した。しかしこの啓文
は、この後明治維新に至るまで、国学発展の一大烽火としての力を発揮したことは特筆
に値する。
その著書としては、他に『万葉集剳記』『神代巻剳記』『古事記剳記』『令義解剳記
』の他、「春葉集」「万葉集僻案抄」「万葉集訓釈」「日本書紀訓釈」「出雲風土記考
」などがある。
こうして、その養子在満も春満の遺志を継いで、その子御風及び春満の女蒼生子タミコと
共に大いに国学の興隆に力を尽くした。春満の門からはこの他に、賀茂真淵を始め、多
くの俊才を輩出するなど、弟子を教育した。なお、弟子賀茂真淵は万葉研究を、甥荷田
在満は有職故実研究を継承した。
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